解決済み
職に貴賎無しと言いますが、本当にそう思いますか? 生きてきて、大いに疑問です。 友人や周囲の大人たちともこういう議論はしました。確かに市場経済においての、需要と供給の観点から言えば、社会に必要とされてる、誰かのためになってるからその職が存在するのでしょう。それはそうです。 ですが、そうした需給関係を超えて、特にその職に就くのが難しかったり、由緒正しかったり、人格の優れた者しか就けない職、多くの人や社会から尊敬されるような職などもありますよね。 こうした評価は、歴史的な観点からもなされることはあります。 (例えば医師や裁判官はどの国や地域、時代でも尊敬される職の典型といえます。日本で言えば、お坊さんは俗世を超越し、人々の死生観と向き合う存在として特に尊敬されます。一方で、金儲けしか頭にないようなゲスな仕事は軽蔑されたりします。) 総合的に考えたら、私は職にはある種の貴賎というものは存在すると、思います。私の中では、一般的に、社会性や公益性の高い仕事や、長い歴史の評価や淘汰を乗り越えて残った伝統のある仕事などが、そうではない仕事よりも、「貴」であると考えてます。 もちろん、主観的な価値観なので、そうではないと考える方もいることは理解してます。他にも貴賎の定義の仕方でも色んな意見があるでしょう。 皆様は職業と貴賎についてどのようにお考えですか?
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う〜ん、言わんとすることは分かりますが「職に貴賎無し」の意図とズレているのでは? ・弁護士とYoutuberを比べたら、そりゃぁ客観的に考えて弁護士の方が偉いでしょ? みたいなことを言いたいのだと思いますが、この言葉の価値はそういうことじゃないでしょう? 「客観的に」言ってしまうと、社会的地位や年収など色々な差があるのは事実であり、それを踏まえて「総合的に」言ったら、仕事に優劣はあるでしょう。 職業人気ランキングとかだってあるわけだし、それは否定できません。 しかし、社会的地位が低かろうが年収が低かろうが、 ・その仕事が好きでやっている人もいる ・その仕事に誇りを持っている人もいる ・仕方なくイヤイヤだけど、それでも一生懸命働いている人もいる のだから、自分のほうが偉いと奢って、「他人の仕事を馬鹿にしてはいけませんよ」ってことでしょ。 つまり、そもそも「総合的に考えちゃダメだ」って話ですね。 たとえ「総合的に考えたら自分より低レベルな仕事をしている人」であったとしても、そんなことよりもまず先にそもそも相手に敬意を持ちなさい。話はそれからだ。 仕事云々以前の話で、まず人と人として「対等である」という精神を持つことが、社会人の第1歩ってことでしょ?
なるほど:3
そうだね:2
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