解決済み
昔の農業が主要産業だった時代は、職業の選択はない状態でしたか? 今は多様化して、情報も多いので転職したり、職種を変えても生きていけますが、農業が主要産業だと、中々転職とかも難しいですよね?しかも、農業は土地も必要ですし、ノウハウも必要かと思います。 吉野家のバイトみたいに、勤め始めた初月からそく戦力になる事はないかと思います。 害虫との付き合い方などを数年学んで、一人前だと思うのですが、このような状況では転職するのがとても大変な状況かと思います。 昔の人にとって職業は父親の仕事を継ぐのが一般的な状況だったのでしょうか? 途中で農民が商人に転職するなんてケースは稀だったのでしょうか? 発展途上国に行くと、1万円分ぐらい果物を買って、それを転売して生計を立てている人がいたりすので、商売を始めるハードルはかなり低い気がします。
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農業が主要産業だった時代は、 農地は財産であり、資本でした。 農地を持っていると、 毎年毎年ほぼ確実に収穫が上がり、 富を生み出していくのです。 農地を持っていたのは地主ですが、 農業は地主だけではできません。 農民には、農地を持たない小作農がいました。 小作人は、農地を借りて田畑を耕し、 その地代を地主に収めていたのです。 農民の内訳をみると、 1割が自作農または地主、9割が小作農だったと言われます。 小作農は、地主の代わりに働いているのに、 収穫を搾取されている、 みじめで差別された存在だったのです。 日本では、江戸時代から戦前までずーっと こんな状況が続いていたのですが、 第二次世界大戦後、 GHQによって「農地改革」が行われました。 日本の農地を、地主から取り上げ、 実際に耕している人間のものにする、という制度改革です。 この改革の結果、小作農は消滅し、 農業をやっている人は全員、 自分の土地を耕す自作農になりました。 みーんな幸せ。めでたしめでたし。 …ところが。 それからしばらくして、日本の主要産業は、 第1次産業から、2次、3次産業に変化していきました。 都市が発展し、都市に新たな仕事が生まれ、 働く分野として、農業以外の選択肢が、急に大きくなったのです。 日本の農民は、みんな自作農になったはずですが、 当時の日本人は、みんな子だくさん。 息子全員に農業を継がせるわけには行けません。 農地の広さは限られているのですから。 それで、 農業を継げない次男、三男は、 農業以外の仕事を求めて、都市に出ていったのです。 そうして、都市で生まれた新しい仕事に就き、 雇われてサラリーマンになりました。 それが、今の80代ぐらいの世代です。 そのうちに、 田舎に残って農業を継いだ長男より、 都会に出て就職した次男や三男の方が、 バリバリお金を稼いでいる…という 逆転現象が生まれました。 そういう現実を見ると、 長男の息子は農業を継ごうと思わず、 「自分も都会に出て就職したい」と思うようになります。 農業の後継者はどんどんいなくなり、 そうして、日本の農業は担い手不足に陥ったのです。 前置きがながくなりましたが、お答えいたします。 >昔の農業が主要産業だった時代は、職業の選択はない状態でしたか? →はい。ありませんでした。 今のように多様な職業は存在しなかったからです。 >今は多様化して、情報も多いので転職したり、職種を変えても生きていけますが、農業が主要産業だと、中々転職とかも難しいですよね? →多様な職業が存在しない時代には、 「転職」という概念も存在しません。 >しかも、農業は土地も必要ですし、ノウハウも必要かと思います。 →はい。 土地を持っている地主は「資本家」であり、圧倒的な強者でした。 一方、 国民の9割以上が農民でしたから、 全員が農業のノウハウは持っていました。 耕す土地さえあれば、みんな働いて生きていけたのです。 >吉野家のバイトみたいに、勤め始めた初月からそく戦力になる事はないかと思います。 →国民の9割以上が生まれながらに農民だったので、 子供のころから、親の働く姿を見て育ちました。 小学生ぐらいの年から、既に戦力でしたよ。 >このような状況では転職するのがとても大変な状況かと思います。 →繰り返しますが、 国民の9割以上が農民という社会では、 転職という概念はなかったのです。 >昔の人にとって職業は父親の仕事を継ぐのが一般的な状況だったのでしょうか? →はい。その通りです。 そんな社会が変わったのは、1950年代以降です。 >途中で農民が商人に転職するなんてケースは稀だったのでしょうか? →富裕農民や地主が、商人を兼ねるケースはよくありました。 小作農を働かせれば儲けが上がるので、 その儲けを資本にして、 商業や運輸業や製造業に手を出すんです。 士農工商の身分制が崩れた明治以降は、 そういう成功例も失敗例も珍しくありません。 >発展途上国に行くと、1万円分ぐらい果物を買って、それを転売して生計を立てている人がいたりすので、商売を始めるハードルはかなり低い気がします。 →商品経済の話ですね。 長くなるので、別の機会に。
農業についてもう少し想像力を使ってください。 21世紀の農業と食料流通は完全に別業種になっています。 しかし、100年前はどのようであったと思います? 畑でとれた野菜を売って金銭にする手段です。 農協も直売場も市場も無いんですよ。 農家は収穫物を消費者まで届けて金銭をもらうわけです。 農村では皆が作物を作ってますから買う人などいないわけです。 そうならば、町まで運ばなければならない。 背負って行くにも限界があるので、荷馬車となる・・ 荷馬車も満載しなければ効率が悪い、そので複数の農家の荷を集めて運ぶことになる。 田舎にも荷を集める商人がいるわけです。 馬を飼い荷馬車を操る労働者がいて、荷馬車を作る職人がいる・・ そのような仕事と農業をかねて行っていた時代です。 器用な奴は荷馬車の修理や大工を専門にしたかもしれません。 要領のいい農家は商人なったかもです。 転職とは雇用されることを前提にしているでしょ。 昔の転職は天職としてその人に会った職に就くことではないか。 そんな風に想像できませんか? 21世紀の常識で物事をみていると、本質を理解できないかもしれませんね。 スマホも電話も無い時代に、人々はどのように連絡してたんだろう? 宅配がないときには・・・ 一家に子供が沢山いて、長男しか継げないとしたら次男以降はそれなりの仕事をしなければいけない。また、平均寿命が50歳以下であり若くして亡くなることも普通で、国全体の人口増加がない技術革新もない時代なら、労働者の需給は均衡しており転職の必要性はあったのだろうか?それが江戸時代 明治に職業軍人や製鉄、造船、鉄道という大量に人間を雇う時代になり就職という概念も生まれたのでは
どのくらい昔かによりますが、職という概念もあるので江戸時代前後ですかね。 転職はほとんどなかったと思いますが、大工や火消しは人気職で、現代のYouTuber並に人気だし儲かったようですね。 あとは本当に江戸時代の江戸では日雇い労働みたいなのがポピュラーで、1日働いて、その1日分の稼ぎを一晩で使う。みたいなのも多かったようです。 しかし田舎の方となるとどうしても職も少ないですし、なおかつ長男以外はいらないですからね。
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