解決済み
長文失礼します。 私立中高で非常勤講師をしています。1年目です。私は、いわゆる「最初から先生になりたくてなった人」ではありません。もともと、大学での専攻が人文系だったので、当初は半分リスクヘッジくらいの気持ちで教職課程を履修し、そのまま教育実習も終え、大学院への進学までの繋ぎのつもりで講師登録したところ、現任校からお誘いを頂き、教壇に立っております。 我ながら、とてもいい加減な理由で教職に就いてしまったと思っております。一般企業の求人を見ても全く心惹かれず、これまでの学びが直接的に活きるような専門性のある仕事に就くべきだというプライドに邪魔されながら、かといって研究者などを目指すほどには能力も根気も不足している中途半端な状態で、どうにか首の皮一枚繋がったような形です。 もともと私は(詳細は控えますが)機能不全家庭育ちで、教育者にあってはならないことだとは思いますがやや反出生主義が入っています。周りにも毒親サバイバーが多く、彼らは子供に対して極端な苦手意識を持ちがちです。また、教育実習などを通して教育現場の労働条件の劣悪さ(場所にもよりますが)を痛感することとなり、正直「常勤の教員になんて絶対なるものか」とよく思っていました(現在非常勤ですが、それでも授業外での労働が多く、定期考査採点に伴って発生する残業にも音を上げているのに常勤の方々はこれ以上のタスクをこなしているのかと思うとそのタフさに圧倒されます)。 しかし、そんな私が今最も幸福を感じやすい瞬間は生徒たちの笑顔を見る時のような気がします。授業やそれ以外のコミュニケーションの結果自分の不甲斐なさが嫌になるような時でも、彼らはなぜかそれを責めるようなこともせずにこやかに話しかけてきてくれたりするのです。まだ働き始めて短いですが、そういったことにかなり元気を貰ってきました。「教員を生業になんてしたくない」と、オフの日で生徒の顔を見ていないとその間に何か起こっていないか心配だな、を交互に繰り返しています。 教員にあるべき器を有していない(と思っている)自分が、生徒たちに活力をもらって日々を生きているという矛盾が今はとても辛いです。仮に教員に比較的向いていたとして、この矛盾を抱えながら教採を受ける勇気が、少なくとも今の私にはありません。何をするにも確信が持てず、常に不安を抱えています。 今後(職業について)どのように舵を切ればよいか、知恵袋のユーザーの方々に僅かでもよいので助言を頂きたく思っております。 労力をおかけすることになり大変恐縮ですが、よろしくお願いします。
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「教師の器」というものに理想を抱きすぎなのかな、と感じました。 教師と言えどいろんな人がいますよ。 実際、あなたも過去に生徒としていろんな先生と関わったんじゃないでしょうか? 教師って、全員が完璧で、心から生徒を愛し、常に正しく教え導く存在…ではないと思います。 数学の先生は、数学にくわしい。 体育の先生は、体育にくわしい。 ただそれだけの大人です。 子供に害をなそうとしてる大人でなければそれでいいと思いますよ。 反出生主義でも「ほんまは先生やりたくない」でもいいと思います。 いろんな人間がいると示すのもまた大人の役目ではないでしょうか。 余談ですが、私は僧侶という職業の人にびっくりしたことがあります。 雑談の中ですげぇ下ネタを言われたんですね。 「お坊さんでもそんなこと言うんだ!」と、めっちゃ笑ってしまいました。 それ以来「こういう職業の人はこういう人格がふさわしい」という先入観を抱くのをやめました。笑 その職業のイメージと違う人が働いてる、っていうのも面白くていいんじゃないですかね。
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