教えたがり屋の集団です。 東大の駒場では試験対策をクラス単位で行います。 模範解答を作ってくれる素敵な人(しかも無償)は、今は教授になっています。 家内に大学時代の友人を紹介すると必ず言われるのは 「黙れと言わないと話し続ける」 東大生はおしゃべりです。 教えたくってしょうがない集団です。 教えたくってしょうがない集団の中で、教える内容が高度な人々が大学に残ります。 理工系の場合、研究はプロジェクト運営です。 ヒトモノカネ これを回さないと研究ができない。 なので、3もなれているヒトが多いようです。 善人で、学校運営の末端を任されると、真面目にやっちゃうと出世しちゃうそうです。 私の回りを見ての感想です。
大学の教育は,その教員の研究実績を踏まえたものですから, 教育と研究を分離することは不可能です。研究をして,その 成果を教育する。学生は,その教育で得た知識を使って卒論 や修論・博論の研究をして,教員と一緒に研究業績をあげる。 学生が教育されてなければ研究が進まない。研究が進まない とまともな教育はできない。ここが高校までの教育とは違う。 よって①だけをしたい人には学生がつかないので②が満足に はできなくなる。教授一人でできるような研究なんて,今ど きは無いから。 さて問題は③。これは教授の仕事。准教授は①と②がメイン で,③は学科内のことに原則限定される。ま,ときどき学部 の雑用もやらされますけど,それは他学科の准教授との人間 関係を構築する上では重要な(教授になったときの情報交換 裏情報の取得の大事な人脈)仕事でもある。助教は主に①を 担当し,早く准教授の公募に応募できるように努力しないと いけない。②は実験や演習の補助に限定しているところが 多いと思う。 さて教授の③。教授になると会議の数・時間が准教授のとき の4倍以上になる。研究室で1時間以上継続して勉強したり することはできなくなる。だったら准教授でいればいいだけ。 日本の大学の場合は,そういうアドミストレーション担当の 教員や職員がいない。ま,独裁や独善を許さないためには, そういう方がいいとも考えられる。 米国大学の場合,③をする教員は特殊な教員(世界的に有名 な教授でも,その手腕があって意欲があれば担当する)だけ。 ほとんどの教授は①と②をやる。よく日本人は,欧米の世界 的に有名な教授は②はやってないと誤解しているが,それは 嘘。ちゃんと学部2年生の講義も担当している。ただ,TA を採用しているので,宿題や試験の採点は自分ではやらなく てもいいが,成績をつけるのは教授の役割。えっ!あの先生 がっ!?と驚くような大教授も講義を担当している。僕も そういう先生の講義をいくつも履修した。日本の教授よりも よほど教えるのは上手,試験も洗練された問題だ。でも, ③はやらない。教授会も無い。さらに出張もしない。学会 活動もしない。勉強・研究と講義をずっとやる。そして, 数年に一回1年間のサバティカル・リーブで他の大学や 日本の東大に滞在して研究だけをしたりする。
>よろしくお願いします。 ②も③も広い目で見ると①に繋がるので、予算獲得・人材確保(育成)は研究の一環だと思って②も③もこなすヒトが多数。どうしても、というヒトは特任教授とか専任教授とかになって、運営からは逃げる。逃げても、予算やヒトが付く(獲得できる)ヒトは研究できるので。
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