解決済み
JRの労組は革マル派と中核派の労組が第一労組ってホントですか? ていうか革マル派と中核派の労組とは、労組の委員長や役員がこれらの組織の構成員で?、非合法活動とかしているんですか?!?
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一部で正解、一部で違います。 革マルと繋がっているのはJR総連系(北海道旅客鉄道労働組合、東日本旅客鉄道労働組合、JR東海労働組合、JR西日本労働組合、日本貨物鉄道労働組合)の組合ですが、このうち第一組合なのは北海道、東日本、貨物のみです。 東海、西日本、四国、九州はJR連合系(JR北海道労働組合、JR東日本ユニオン、東海旅客鉄道労働組合、西日本旅客鉄道労働組合、四国旅客鉄道労働組合、九州旅客鉄道労働組合、日本貨物鉄道産業労働組合)が第一組合です。 また、JR全体でもJR連合系所属者が5割強となっています。 JR総連系の組合は、国鉄時代は国鉄動力車労働組合(動労)という組合でしたが、この組合の委員長であった松崎明という人物が革マルの役員でした。 民営化時のJR総連設立にも深く関わっている人物です。 動労内の中核派は革マル派との対立から分裂し、動労○○として現存しますが、少数組合です。
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国鉄時代の動労は1つの中央本部と29の地方本部があつたんですよ。中央本部と9つの地方本部を革マル派が抑えていて、北海道など5つを共産党が抑え、千葉地本を中核派が抑えていました。そして共産党系は全動労として独立し、中核派は千葉動労として独立しました。国労は社会党だつたんですがねこの中の革マル分子が付くつたのが「真国労」という組織です、第二組合ですね。分割民営化時の組織は下記の通りです。 国労 社会党 動労 革マル派 真国労 革マル派 全動労 共産党 千葉動労 中核派 鉄労 民社党 施設労 公明党 その他 という構成でした。この中でも動労千葉は中核派が幹部を占めていて、ストや助役などへの実力行使などをして労組員を守りました。この中の動労と真国労と施設労と鉄労が合体してできたのがJR総連です。ただ革マル派の引き回しに民社党が付いていけず、分派したのがJRユニオンです。JRグループには労組が20くらいあり、説明が難しいです。 で革マル派の労組としてはJR〇〇労組というのがそれで、その連合体がJR総連です。JR〇〇ユニオンというのは脱退分子が作った民主党系の労組です。今ではこちらの方が人数は多いです。今現在、革マル派の力が強いのはJR東日本とJR貨物だけです。あとは脱退者が多く西日本では第三組合、東海でも第二組合になっています。 中核系の千葉動労は、「動労総連合」という組織を作り、高崎や水戸に支部はあるものの影響力は千葉県の木更津電車区や勝浦などに限られています。いすみ鉄道の労組も動労千葉です。 で質問の答えですが、東の第一組合であるJR東日本労組は革マル派が幹部を占めています。故松崎委員長は革マル派の副議長をしていたのは公然の秘密です。又、千葉動労も故中野委員長は中核派の中央委員だつたというのも公然の秘密でした。この二つに貨物も含めて、皆幹部はセクトのメンバーで占められているというのは、これまた、関係者なら誰でも知っている「事実」です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8B%95%E5%8A%9B%E8%BB%8A%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88 http://www.doro-chiba.org/
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革マル系のJR総連が有名ですが、中核系は聞いたことないです。 かつて、国鉄は、総評(社会党・共産党の双方の支持者がその中にいました。)の牙城である国労が大変強かったです。 それが目の上のたんこぶである自由民主党の中曽根康弘首相は国労潰しも意図して国鉄分割民営化しました(中曽根先生本人も認めていることです。) そのため、中曽根先生は分割民営化、 国労潰しのため、革マル系の動労と組み、動労系の労働者をJRに優先採用することを餌にして、動労(これが現在のJR総連)に国鉄民営化を賛成させたのです。 国労系の労働者は、大量解雇となりました。 そして、中曽根先生の意図通りに、国労のみならず、総評も弱体化し、社会党+民社党系の連合と、共産党系の全労連に労働組合は再編されました。
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