解決済み
「教師は社会経験がないから非常識な奴が多い」という言説をネットでよく目にするようになりましたが、教師として働くことは社会経験ではないのでしょうか。 では社会経験とは一体何を意味するのでしょうか。社会経験と認められる仕事と、そうでない仕事とがあるということでしょうか。 もしそうなら、具体的に何の仕事をすれば社会経験と認められるのか教えていただきたいものです。 私には、小さな会社で働くことと、学校で働くことと、どちらも同じ社会経験としか思えないのですが。 雇われの身である教師が社会経験なしと判断されるなら、ずっと自営業でやってこられた方は当然、皆社会経験が微塵もないということになるんでしょうね。
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社会経験とは民間、つまりは一般企業での勤務経験の事です >小さな会社で働くことと、学校で働くことと、どちらも同じ社会経験としか思えないのですが それを言ってる時点であなたも社会の事を全く分かってないんだなぁ〜って話です 学校と企業は全く違いますよ? えっと….. まず、学校ってほぼ潰れる事はありません、公立なら尚更です だから、生徒に綺麗事を言い続けても、ただ教壇に立って教科書に書いてある事をひたすら読んでいくだけのやる気の無い授業とかやり続けても、生徒に体罰や理不尽な事をしても、いじめなど問題があって解決できなくても、工夫してもっとよくしていこうという向上心が無くてもクビにならないし、定年までずっと給料貰い続けられます 一方で、民間企業って売上が上がらないと会社ごと無くなっちゃうんですよ なので、売上を上げる為には綺麗事ばかり言ってられないので、ある程度ルールとは違う事をしなきゃいけないし、お金を稼ぐっていうのをやると良くない事をしなきゃいけないし、人を騙すとかある程度嫌な事をしないとお金って稼げないし利益を上げる事ができない世界なのですよ で、民間企業は能力が低いとクビになります なので、能力を上げる為には資格を取ったり、もう工夫していこうとか、もっといいやり方があるんじゃないか?って考えて常に向上していく、改善していく努力、自己研鑽が必要です そうしていかないと、職場での自分の価値は上がらないし、能力も上がらないし、生産性も上がらないし、給料も上がらないし、組織としても成長、変化もしないし、そうなれば同業他社に出し抜かれて、更に時代の流れに乗り遅れて稼げるポジションも取られて稼げなくなって会社が生き残れないっていう世界なのですよ なので、学校と企業は違うのですよ? なので、学校の先生ってそういう民間企業で働かずに民間、つまりは一般社会がどう動いているかを知らずに学校を卒業したら再び学校に戻ってくる人が大半なので、子供達にはルールをきちんと守りなさい、先生や大人の言う事をきちんと守りなさいとか綺麗事を子供に教えちゃうので、マジで害悪だって話なんですよ で、一般企業での経験がある先生もいますが、そういう一般社会の経験がある先生の方がはっきり言って子供達からはめちゃくちゃ授業が分かりやすいし、とにかく面白いし楽しいって評判です 最近の教師の労働のブラック化と教師不足の問題ですが、あれは結局は教師の向上心の無さが原因です 民間企業ならどんどん合理化します 授業なんかオンラインにすれば良いし、部活なんか外部に振るか廃止にすれば良いし、いじめや保護者の問題は警察や弁護士に振ればいいし、無駄な事務処理はどんどんデジタル化か廃止にすれば良いしって感じで合理化する事でどんどん負担を減らしていきますよ 教師って合理化もしないくせに労働環境が〜、仕事が大変だ〜とか言い続けてるからやっぱり教師って無能だなっていうのがよく分かります 民間で同じ事をやってたらクビですよ、あんなの
なるほど:3
そうだね:2
日本語には、同様の意味の言葉がいくつもあり 誰かに話す時、無意識に選択して話しますが、 同様の意味でも全く同じ意味ではないので 伝わるうちに本来の意図とずれてしまう。 「教師は社会経験がないから非常識な奴が多い」 ではなく、おそらくですが当初の意味合いは、 「教師は、学校という特異な場所で働き、 その多くは、卒業してすぐに教職に就くので、 就活等の勉強もしませんから、 一般企業での常識、いわゆるビジネスマナー の様なものを知らない人が少なくない。 という程度の話だったのではないかと。
なるほど:1
ありがとう:1
ネット上に限らず、昔から似たような「言説」はよく耳にしましたが、 多くの場合、考え拙い者による難癖の類なので・・・真面目にとり合っても、あまり意味は無いかもしれません。 まあ、でも、なんでそのような「言説」が出てしまうのか・・・考えることは必要かもしれませんね。 これは私の推論ですが・・・・ まず、そもそも学校(教員)の役割は何なのか?という理解がポイントになります。 近代国家における学校(義務教育課程)は、端的に言うと、その国家のイデオロギー浸透装置です。 「洗脳」と捉えることもできるかもしれませんが、とにかくその国家(社会)が是とするイデオロギー、価値観を広めることが根本的な役割なわけです。 そうすると、当然、個人(子どもやその保護者)の価値観や欲求と対立することもあるわけです。 それは、その子どもや保護者にとっては、ストレスになりますね。 そのはけ口として教員に対して反発心、敵愾心を向けがちになりますが・・・その際、自分の心情、考えを正当化するために、教員側の落ち度とか、自分たちとの違いを見つけ出す必要があります。 そこで判りやすいポイントが「教員は学校の外での経験が無い」という面なわけです。 思考が拙い者ほど、理由を、自分の外の、しかも簡単な部分に求めがちですからね。 それからもう一点、 学校の教員の行動原理は、基本的には「子どものため」ということですが、それが世間一般の行動原理とはズレてしまう部分があるわけです。 学校や教員側としては、「子どものためなのだから、協力してよ!」という想いがあったとしても、世間側はそれほど子どもに対して関心がある人ばかりではないですし、それぞれの社会事情から協力に応じられないということも多い。 子どもの家庭のレベルで見ると・・近年は共働きやシングル親家庭が増えて、学校(教員)の行動原理に上手く合わせるようなことが難しくなり、ストレスが増しているような面もあります。 ・・・そんなようなこと、諸々が複合的に関係しているのではないか?と。 ただし、近年は、上記のような意味ではなく、本当に「非常識」というか、認識が甘い(そのそも能力・資質が備わっていない)者まで教員になることが多くなってきていて、それがさらにストレスを増すことに繋がっていると思いますけどね。
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