解決済み
そうは思いません。 職業に貴賤があるから「職業に貴賤はない」という必要があるのです。 人間は平等ではないから「人はみな平等だ」と言う必要があるのです。 本当にそういう概念がないのなら、言葉そのものが存在しないはず。
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職業の貴賎は、社会的序列に優位性を感じる当事者と、またその逆に劣等感のみを感じる当事者とが織りなして作り出していると考えていいでしょう。 したがって、どちらの立場にもない人が貴賎を論じるのでは、机上の空論に等しいことです。 トイレ掃除の例が挙げられているので併記させていただきますと、これもやはり当事者の意識の問題がすべてです。実際にお掃除担当の方々の通勤着をご覧になれば分かりますが、近頃の皆さんは総じてお洒落で、社会的劣等感など微塵も抱いていない人ばかりですよ。 したがって、そうした立場にない人がその人たちの「賎」を論じたところで、それは机上の空論に過ぎないことです・・・ また、一流会社の役員の例が挙げられているので併記させていただきますと、これもやはり当事者の意識の問題がすべてです。実際に役員諸氏の言動に接すれば、心底から紳士然としている人なんてヤクザ世界の大親分くらいなものですよ、大抵はステータスの威を借りて、威張り散らしてなんぼですね。 したがって、そうした立場にない人がその人たちの「貴」を論じたところで、それも机上の空論に過ぎないことです・・・ ※逆転現象としての「貴賎」、つまりお掃除担当者の「貴」や会社役員の「賎」について、そうした立場にない人が論じることには非常な意義があるものとも解します
いや江戸時代から明らかに職業に貴賎はあるだろ 使い捨ての派遣も問題になってるし貴賤どころか生きるか死ぬかの問題になってる 大体この競争社会で職業に貴賤は無いとか言ってる奴はどんだけ頭の中お花畑なんだよw
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