解決済み
大学の研究室からの推薦で歴代の先輩がいる企業の研究所に入れましたよ。 私は(個人情報が含まれるので具体的には言えませんが)その研究で有名な研究室があるからその大学を選びました。その研究室に入るために大学でいい成績を残せるようにしましたよ。 今は働き方改革とかでそうじゃないとは思うのですが、私の頃は残業時間が付きませんでした。研究手当という定額のものでしたよ(だいたい20時間分ぐらいの残業代に当たる金額)。 でも毎日次の日帰りで、会議室のテーブルの上で寝る事も多々ありました。 誰も教えてくれないし(究極の放置プレーから始まります)全員横並びの競争相手です。研究報告会では批判と否定ばかりで研究者程ディベイトの様なものに強くて議論に勝っていけないとやっていけない職業だと思い知らされました。 自分の理論を証明するために本当に記憶が無くなるほど仕事漬けでした。 残業はつかないけど、工場と同じ敷地内にあるので朝のタイムカードはあって1秒でも遅れれば遅刻で3回で1日分の欠勤になるので、遅刻したら半休を使って消してでも仕事はいつもどおり朝からやり有給休暇はそれで全部消えてました。 最後は研究段階から開発段階になり試作を作るためにはもっといろいろな実務的経験と能力が必要な事がわかり、自分から実務部隊への転属を希望しました。そして設計や図面の書き方など一から勉強しなおして実務をこなす時間以外の自分の時間で試作の仕様書や図面などを作成しました。 稟議書を通し試作を作りそれを評価したら、いままで批判や否定しかしてこなかった人たちが我も我もと乗っかかってきて特許の発明者にも名を並べるほどでした。 そして慎重派の私を遠ざけて無用な機能まで勝手に追加された商品が知らぬ間に売り出されました。会社名がついているようなものです。でも出るべくして不具合がでたら今度は皆ひいてしまい考案研究者の私が前面にだされて不具合対処に奔走しました。やっと順調に売れるようになったら会社自体が売りに出されていて私は技術移管役として吸収元の競合会社に行かされることになり、プッツンして喧嘩して辞めました。その後しんだように1年間ねつづけましたよ。今は入退院を繰り返して心身ともにボロボロです。 これが研究員です。イメージが沸いたでしょうか?
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ただでさえ研究ポストが少ないのに。日本政府は、団塊の世代が退職すると同時に、教授とか准教授とかのポストを消滅させてしまった。 つまり、今、研究職のポストがないんだよ。 医学部以外の研究職の博士号取得者の就職率は50%。 50%だよ!?博士号といえば、最高学歴じゃん。それが、50%って。どんだけひどいの、という話だよ。 研究者になりたい人は、数少ない常勤の助教、講師、准教授、教授の仕事につくために、めちゃくちゃ論文を書いて。応募しまくるけど。 確か、この間、どこかの旧帝大の研究職の倍率が200倍以上だった気がする。 あとは、私立の理学部の教授は250倍だったかな。 ぶっちゃけ、ほとんど研究職にはなれんということ。 出世争いというレベルじゃない。定職につけない。 冗談抜きに、東大出て、研究職を目指していたけど、諦めてトラックの運転手になった人がいる。これはマジ。トラックの運転手の方が、不安定な研究職より安定した仕事だそうな。 企業のぬるい出世争いのレベルじゃないよ。就職氷河期とかでも企業の就職率70%台だったじゃん。博士号は50%だよ!?就職地獄だよ。 だそうです
なるほど:1
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