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自分52歳、3つ下の従弟口唇口蓋裂の病気で生まれてきました。当時は今ほど病気の認知などがなく、叔父の奥さんの実家に殴り込みをしたなど大変だったそうです。 そしてどこから聞いたのか間引きの事を聞いた叔父が自分の父を連れて産婦人科に行って「無かったことにしてくれ」と言ったそうです。 当然医者は「私に殺せと言うのですか?」と言い、一般的に割れてると乳が飲めなくて死んでしまうと言われて納得して帰ったそうです。 しかし従弟は乳も吸って飲めたので育てる事になったそうです。 地元が田舎だったので手術ができる病院がなく、東京まで行って何度も手術して今や大手商社の部長をやっています。 ここで質問なのですが、叔父夫婦が育てると決めたのに周りの親類縁者達が殺害を仕事にしている人を雇う話ばかりしてたそうです。 実際、巻き込まれない為に今日は家にじっとしていれ!って電話があったこともあったそうです。 昭和40年代は難病の子供を消す仕事をしてる人たちはいたのでしょうか? 自分は未熟児で歳も近かったこともあり間違って殺されると大変なので母が目を離せなかったそうです。 この話は昨日父から聞きました。
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昭和の前半位まで、ごく普通の話。難病、老人、辛い物があるね。とても貧しく、その人の将来、家族の負担を考えると、そんな選択肢合ったよ。 癌病棟なんて有ってさ、枕の下から胴巻きを出して全部やっから殺してくれ、なんて頼まれるんだよ。当時の病院関係者必ず経験してるよ。 勿論出来るはず無い・・・みんないくら考えても、どうにもならない話だったよ。 しかし・・・・?
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