解決済み
精気の無い人の方が心が安定するのでしょうか? 職場で同期(やや後輩)でおとなしい人がいます。どんな相手でも静かで覇気が無い返答しかしません。ただ、自分より信頼されているみたいです。周りの評判では彼は何が起きても怒らないし、話しやすいそうです。一方、私は時々物凄く不機嫌に見えるそうです。特に話をする事も無いですが、彼は私からみると常に何かを強いられてる様な感じです。私は自我が強く意見を通さないと気がすまない質ですが曖昧な答えは嫌う性格です。 介護の業界では強力な個性が無い人間は大人しく従順な人間ほど愛されるのでしょうか?また、どうすれば自分の性格を変えずに客観的に振る舞えるでしょうか?
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「精気がない」「覇気がない」は質問者さんの見方で、他の人は「穏やかで当たり障りがない」と見たうえで、なお当人の持ち味を引き出せるような対応をしているから、それで「仕事はちゃんと出来ている」との評価で信頼を寄せやすいのだと思いますね… 個性が強い、感情の起伏が激しいという場合、意見が合うときは良いが合わないときには議論の出口が見えなくなるので、それで「扱いにくい」という評判になるんです。 ましてや質問者さん自身、ご自分の性格を「強く意見を通さないと気がすまない質ですが曖昧な答えは嫌う」と認めておられるわけで、世の中は常に正論が悪論を駆逐するというわけでなく、まして質問者さんが悪論を振り回す存在にでもなれば厄介なので、とりあえず質問者さんの職場では「穏やかな人」がもてはやされる風潮だということです。「職場の体質」と言ってもいいでしょう。 「介護の業界では」などと十把ひとからげで考える問題ではないです(苦笑)。決まりきった介護報酬と業務マニュアルのもとに仕事を遂行していく中でも、いろいろな風潮が生まれるのが人の集う「組織」なので。 そこで! 質問者さんが「客観性」のテーマに目覚めたうえでは、別にご自身の性格を変えようと強く意識する必要はない代わり、職場の人たちの「いい部分」について、それぞれがどう認め合っているから穏やかな人間関係で調和・強調しているのか、そこを距離を離して視ていかれることです。 これまでの先入観を排除して、それこそ「いま初めてやってきた一見学者」のつもりで、各人の良いところを良い表現を使って認識し直すんですね。たとえば冒頭に示しましたように、 *「精気、覇気がない」→「見た目に穏やかで自己主張がないぶん、当たり障りもない」 …というふうに。 職場の人相手で抵抗があれば、TVに出てくる質問者さんの「嫌いな芸能人」でもいいです。 質問者さん自身は嫌いなのに、どうしてこの人は人気があってTVの露出度が高いのか、その理由を考えたら、それが「良いところを引き出す」ことになるわけです。 嫌いではあっても、嫌いななりにその芸能人の存在と実力とを認めることになれば、そのことで質問者さんは「客観性」の一面を育んだことになります…
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