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貴方がドクターの道を選択された契機はどのようなものでしたか?

貴方がドクターの道を選択された契機はどのようなものでしたか?高校時代、医学部に進学する周囲の友人は、学力が高いから医学部に、といった感じでした。最近、新たに姻族に加わった医師や病院で話をお聞きする医師の印象は、そうした安易なものではなく、志の存在も感じます。 自身の過去に照らし合わせ、高校、大学時代にそこまで高邁な志を持つ姿勢を持つことはありませんでした。患者として病院生活にはかなり通じているつもりですが、医師の労働たるや過酷だなと思う反面(失礼ながら頭脳労働と肉体労働が共存する珍しいケースに感じています)、これに就く志を10代後半の年代にどうやって養うんだろう、と密かに考えています。 貴方は如何でしたでしょうか?

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    【長くなってしまったので前後編にわけます;前編】私は、昭和41年7月、北海道の田舎で、高校教師をしていた父の長男として生まれました。 4人兄弟でしたが、1番上の姉は、他の兄弟が生まれる前に幼くして池にはまり溺れて亡くなりました。 母は自分が目を離したからだと責任を感じ思い詰め、電車に身を投げました。両下肢を膝から下で、右腕を肘から下で失ない、頭部にもかなりの損傷を受けた大怪我でした。もう五十年も前のことです。田舎町ですし、命が助かったのはまさに奇跡と言えるでしょう。まず大出血し、大量の輸血が必要と為りました。その時、母親と同じ血液型の多くの父の同僚の先生方や当時の生徒さん達が、生血を提供してくれたそうです。それがなければ、こんな奇跡は起こらなかったでしょう。 母は、父や友人達の献身的な介護と励ましのかいあってか、本当に短期間に愛娘の死とその3肢切断、片側顔面神経麻痺と言う苦難を克服しました。 彼女は、一年もしないうちに、両下肢義足で杖もつかず歩き回り、利き手交換により、美しい字を書き、家事一切をやりはじめたそうです。 母は、その後姉、私、弟を出産し、見事に育て上げました。僕は、母に片手と両下肢が無いことを小さい頃から知っていたけれど、母が全くそのハンデを感じさせなかった為、それを普通のことと思っていました。でも小学生の中頃には、母が凄い人間であることを肌で感じていました。ですから小さい頃からずっと、私の最も尊敬する人物は、母であり、それを支えた父です。僕のその頃の夢は、父と同じ高校教師に成ることでした。 私は、小学生高学年の頃、あることに気付きました。母が家に誰か知らない人が訪ねてきた時に、なかなか玄関まで出迎えようとしないのです。そこに私がいれば、『ご用は何か聞いてきて』と背中を押されました。私はその理由がわからず、母にどうしてか聞きましたが、教えてくれませんでした。私がその理由を知ったのは、中学生になった頃です。父が、『もし母さんに新しい腕をつけてあげることができる医者がいれば、どんなことをしても連れてきてやるんだけどな』と呟いたことがあったんです。そうです母は、自分の右腕が無いのを人にみられるのがいやだったのです。 僕は、一生懸命勉強して自分が腕のいい医者になればそれが出来るかも知れないと考えました。当時読んだ手塚治虫のマンガでは、主人公のブラックジャックという医者は、もげた足をもと通り繋いだり、馬の脳を人に移植したりしてました。その時、何故か自分にも出来るようになると思ってしまったんです。

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