解決済み
児童福祉の仕事をしていましたが、児童と関わる仕事が向いてないのではと思いました。 今まで、様々な児童福祉施設で仕事をしてきました。コミュニケーションは得意な方で、子どもとのコミュニケーションは勿論、保護者や関係機関との連携も上手にしていました。 子ども達の目線に立ち、一緒に遊び楽しむ事は勿論、ルールを守れる様に教えたり、駄目な事(非道徳的な事)を分かりやすく伝え諭す事もできていました。 実際、得意・不得意な子ども問わず、上手に支援してこれたので、児童福祉の仕事を天職でやりがいのある仕事だと思ってきて、疑いもしなかったです。 ですが、今回社会的養護の施設で働き、支援の難しい児童を対応しました。 ざっくり説明すると中高生の児童です。 周囲(同業の友人や、同僚)に私の支援は間違っていなかったと言われましたが、直属の上司とその児童には受け入れられませんでした。 児童は私を拒絶し、私とは話をしてくれなくなり、支援どころじゃなくなってしまいました。 それが結果であり、全てだと思ってます。 きっと今回の支援は、私が間違っていたのでしょう。 児童に合わせて支援内容を変えるのは当然だと思っています。 私のやり方が全ての児童に当てはまるとは思ってないです。 ですが、一支援者として駄目な事(非道徳的な事)を駄目だとストレートに伝える事はいけなかったのでしょうか? 私は児童の事を思うと、その様に伝える必要もあると思ってしまいます。 その様な思いを抱えたまま、児童福祉の仕事をしてよいのか悩んでしまいます。 たまたま、その上司と児童には伝わらなかっただけでしょうか? 皆さんの客観的なご意見をお聞かせください。
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私も児童福祉に携わる一人です。 細かいことは分かりませんし、またお尋ねもしません。 が、私自身、質問者さんと同様に自負もありましたし、悩みもしましたし、児童と衝突したこともありましたし、評価してくれる上司も、コテンパンに冷遇してくれた上司もいました。好きで誇りもあり、遣り甲斐もある仕事ですし、従事できることが幸せだとも思っていますが、「自分の天職である」と断言はできません。 長々と書き連ねていますが、自分の中でいろいろな思いを巡らせては葛藤しつつ、いまだに結論が出せないでいるのだと思います。 でもそれでいいんじゃないでしょうか。 今回合わなかったとしても、上手くいかなかったとしても、あなたが仕事を続ける限り、この先あなたの支援を必要とする児童に巡り合えるはずですから。 今回の失敗? は、次に活かしましょう。同じ轍を踏まないように、ご自分をアップデートできたら、確実にあなたはレベルアップし、より理想に近づけると思うのです。 今はしんどければ、少し歩みをゆるめてもよいかも知れません。何なら休んでみてもいい。力を蓄える時期に充ててもいいと思うのです。 どこかで同志ががんばっている…と思うと、私も心強いです。お互い、がんばり過ぎないようにしませんか。
残念ながら「答えはありません」 子育てというのは結果論であり 教育というのも結局は結果論でしか無く それに携わる養育者・教育者の努力や方法などはすべて 結果でしか評価されないのです。 100%質問者さんが正しかったのだとしても 結果として失敗に終わったならそれが全て。 ご自身の言葉通りです。 ただ 子育てや教育というのは 実を結ぶのが20年後、という事も多々あり 直近で失敗したように思えても 20年後、30年後に、 「今ならわかる」 と 相手が思ってくれる事もあります。 でもそれは誰にもわからないんです。 その20年間にその子がどういう人生を歩むかは 教育者には関与しようがない事だから。 だから、教育者というのは 祈るようにして いつか実を結びますように、と願いながら その時々を精一杯頑張るしかないのだと私は思います。 まあ、だから、私には無理です。
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