教えて!しごとの先生
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1)学部生時代に大学の紀要に論文2本が載ったこともあります(国文学系)。 ですが学費の関係で大学院に行けませんでした。…

1)学部生時代に大学の紀要に論文2本が載ったこともあります(国文学系)。 ですが学費の関係で大学院に行けませんでした。いまでも毎日悔やんでいます。正職員(官庁系の団体職員)の職を捨ててでも大学院(国文学系)に進学するべきでしょうか?42歳です。 これとは別の質問です。 2)マーチや関関同立以下の大学院に行く意味はありますか? 電車に乗ってたら中年男性が「マーチと関関同立は”大学”ではない。私大は大学ではない」と言っていたので。

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ID非公開さん

回答(5件)

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    貴方が学部卒業以来今日まで20年間何をしてきたかにもよります。学会でしたら学部卒であれば大抵入れます。学部生時代に大学の紀要に論文を掲載したことがあるなら、当時あなたの論文は公にできる段階に達していたと思います。大学院に行かずともそのレヴェルの研究を続けて、学会発表など続けていれば業績が認められて大学の公募などに受け入れられたこともあったかもしれません。 在野の研究者としてやっていくだけでよければ、今からでも学会に入って自ら研究したことを発表していけばいいと思います。大学院によっては昼夜開講制を取っている所もあります。現職を続けながら大学院に通い修了することもできます。在野と言わず大学の教職に就く可能性もあると思います。しかしながら、今から大学院に入って勉強をし直して学者を目指すのも悪くはないが、この20年間研究もその発表もしていないなら、そのハンディはあまりに大きいと思います。 ***** 私の学部時、同級生で親しくしていた友人は、学生の当時一緒に大学院に行こうと話し合っていましたが、学部4年で諦め高校教師になりました。一方、私は無事大学院に合格できました。彼の場合も、あなたと似たような立場で30代後半にやはり研究者になりたいとのことで、当時短大の専任教員だった私に相談に来たので、私は母校の主任教授にも連絡し、認められ彼は無事大学院に戻りました。彼の場合、妻が働いていて家計を支える力があったので大学院生に没頭できたようです。彼は5年後に満期退学し、博士号は取りませんでしたが、間もなく某大学文学部の専門課程の専任講師に就任しました。 その後の活躍はあまり知りません。彼の大学で学会があった時も、彼の発表はなく、彼の論文が学会誌に載ったことも確認していません。いつのまにか彼は私から離れていきました。教授にまでなったのか、退職したのか、年賀状も来なくなってしまい消息不明になってしまいました。残念なことです。 **** 今では大学の専任教員になるには後期課程満期退学が普通ですから、最短でも5年かかります。その時あなたは47歳ですね。国文学の場合は国文学科くらいしかポストはないので、競争は激しいものがあります。良くて専任講師になれるかもしれませんが、うまくいかないと残りの人生大学の非常勤講師、食べていくためには中学や高校、予備校などの非正規講師を兼任でやって行かねばなりません。収入はよくて年収300~500万止まりです。 ***** 私は英文学を50年以上やってきました。大学院は指導教授の意見に従い、内部進学でしたが、ストレートで入り、後期課程1年で退学して短大に就職しました。地方の無名私大で我慢した結果、最短で修士も取り、それも英語の教師ができたので25歳から短大とはいえ専任の講師ができたのです。その後も無為に暮らしていたら一生短大の一般教育の英語教師で、最後は短大が今のように左前になり閉鎖、失職の憂き目にあっていたかもしれません。しかし私は就職後も研究に励み学会発表や論文掲載など、人に言われるまでもなく、自ら積極的に活動でき、大学も条件の良い所に二度転職しました。 その間、日頃の努力が認められ、母校の主任教授から論文博士申請の慫慂があり、50歳ころに学位取得も果たしました。母校で論文博士取得は専攻で最初でした。残念なことに母校は文学部も文学研究科もその後改組してしまい、博士(文学)取得者は10名にも達しなかったようです。 この間にも勤めていたのは短大ですから、一応研究の便宜もあり、在外研究で英米の大学の客員研究員も複数経験しました。国内で分野トップの学会でも発表し、在学研究時には現地で講演もしました。私の出身は地方無名私大ながら、このような学位取得と研究歴が評価され、50歳過ぎて中堅大の専門課程・大学院教授の公募に選ばれて、最後の15年余り関東地方の大学に勤めました。 名誉教授の称号を貰って退職した今も細々ながら研究を続けています。何れ機会を捉えて成果の発表も考えています。 ******* 私の中学の同級生で長らく国文学の大学教授をしてきた人がいます。彼は県下一の高校から早慶級大学に進み近代国文学の修士課程まで行きましたが、当初は高校の国語教師をしていたようです。その間学会発表など業績を積んで、後に郷里に近い大学に就任しましたが、博士号は取らないまま、マル合教授にはなったようですが、私と同じ年に完全に退職したと聞きました。 このように大学に就任するには業績次第で、出身大学はさして問題ではないというのが私の経験からの持論です。無名大出身でも、学会レヴェルまで行けば発表や論文の内容次第で認める人は認めます。 中には学会レヴェルまで行っても出身校名にこだわる人もいるので、一概には言えません。昔から東大にあらずんば大学にあらずという人もいますからね。今後は博士の学位も、取得者が増えればデフレ現象を起こすかと思います。取得大学名がものをいうようになるかもしれません。 しかし同じ学会員であれば平等ですから、他の会員が認めるような研究をしていれば学者として認められているということと思います。

  • その年ではストレートで48歳博士号取得ですね。採用は教授職 これに該当する業績は無理です。よくて非常勤講師で月 1コマ3万 3コマこなして10万生活保護レベルの収入です。 話は変わりますが学部生で大学紀要2本? ありえない業績です。あなたが30年に1人の逸材か あるいはその大学の教員レベルが異常に低いかのどちらかです。

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  • ~べきということはないです。自由です。 人によります。

    2人が参考になると回答しました

  • 明治の文学研究科に中年の人が来ていました。博士まで取ったみたいです。 最大の懸念は再就職だと思います。人手不足の業界は山ほどあるものの、年齢的にハンデは否めません。 ただの箔付けとして使うならMARCHでギリギリだと思います。アピールする相手が大企業の人事とか、進学校の同窓会とか、港区の合コンなら、さすがに役立たないでしょう。 相手がどの分野であれ修士持ちなら大学院名など無関係に研究実績こそが重要だと理解されるでしょう。 アカデミアへの就職だと、明治からもテニュアトラックにはそこそこ実績があるものの、年齢のハードルが厳しいです。

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