解決済み
長文ですみません。 30代の医師兼基礎研究者です。 最近、自分の研究者としての適性を疑っています。 と言うのは、研究者として成功している先輩方をみると、アスペルガー・ADHDといった、良くも悪くも平均から突き抜けるのに有利な資質をひしひしと感じるからです。そういった熱量・行動力のレベルが違う人達に比べ、自分が凡庸だと気付いてしまいました。 元々は患者さんのためにと思って研究に足を突っ込んだのですが、そのような人達とは残念ながら勝負になりません。 気合いとか根性の類とはまったく異種の差を感じます。ちょっと言い過ぎですが、イチローとか本田圭佑のような、根本がどこか違う人達がいるのです。 自分の医者としての適性は問題ないと思っています。患者さんをみているのが一番自然です。ただ、患者さんを見ているだけでは、治せない病がまだまだ多すぎるのです。 同業者や他でも専門職の方など、どうお考えですか?
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>自分の医者としての適性は問題ないと思っています。 なら、その気持ちだけで悩む必要は全然ないではないですか(苦笑) 最近よく思いますが、(臨床)医師って結局は大部分が地域医療への貢献者で、治せない病をなくすとかいう研究者の職域は、ごく一部の「全国区専任」の医師に任せきるべき領域なのだと。 そこの区別として割り切りませんと、えてして質問者さんのようなジレンマにはまり込みます。地域医療に身を置く臨床医は、「研究畑がちゃんと研究を進めてくれないから、現場レベルに出来ないことが多すぎる」くらいの不満で感じている場合が往々ですよね。 ノーベル賞を得た山中医師の場合は、臨床現場で半ば不適格の烙印を押された経緯から研究畑に転じた人ですから、要は「適材適所」をきわめる必要ある世界なのだと思います。 「適性に問題ない」のですから、後は質問者さんの立ち位置の問題ですね、努力第一の精神論だけでなく、そういう合理的な考え方への転換も視野に入れておきたく…
向いていようがいまいが研究には公費が投じられて いるため、年に1回、研究成果発表の義務があり、 実際に発表しなければなりません。 口頭発表の後にはそれを論文化しなければなりません。 発表は大抵12月ですが、私などは年が明けて 翌1月からその年12月の発表が気になってずっと 肩の荷を背負った状態になっていました。 向いていようがいまいが、やらなければならない ことは、、、やらなければならないのです。 本当は貴方は医師でもなければ研究者でもありません。 上の現実を知らない素人のたわごとであることが 文面から明らかです。
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