解決済み
人事評価制度について疑問に感じたのでよろしくお願いします。便宜上まず実例から書かせていただきます。 A.各個人が行う自己評価は一切ない。直属の上司と関連する班の上司が判断する・・・が多少の差異はあるものの一律で昇給する。 B.各個人が行う自己評価は一切ない。受験用件はあるものの自社の資格制を導入。合格後は空席待ちの状態。給与は各階級ごとの範囲内で昇給する。 C.個人ごとに細かい自己評価を提出。その後直属の上司、他部門の上司や役員が一次、二次評価を行い各個人にフィードバックを行う。 上記3つは実際に行われている人事制度ですが、すべて成果主義ではなく所謂年功主義(年功序列)であり、長く居れば居るほど給与は上がります。 では人事評価なんて行う必要があるのでしょうか? 確かにAのような不明確な基準で昇給が左右されるのもいかがなものですがCのような基準でしっかりやろうとも給与はたくさん欲しいし所謂お手盛りの弊害が発生する可能性が高いですよね。 とするならばBのような明確かつ絶対的な資格制度の導入が適切かもしれませんが、手段の目的化・・・仕事より資格をとることがメインになってしまう可能性もあります。 少々人事制度に対して否定的に書きましたが肯定的な意見も多々あると思います。 Aは仲間意識をより強固にし、ひとつの大きな仕事に対して一致団結して取り組む、意思の共有を意識して働く会社なら有効かもしれません。職人気質な職場ではこうではないでしょうか。 Bは明確な人事基準を公表することで向上心をあおり常に成長し続ける企業を作ります。勢いのある企業ではよく採用されているようです。 Cは下層社員から役員まで意識を共有し、社員を資源と考えしっかりと育てていく姿勢が見て取れます。内部統制の構築の度合いによっては最大の効果が出ると思います。 ですが賛否含めて私はこのような人事制度は不要だと考えてしまいます。どうせ昇給は一律だし昨今の状況では昇給額にも期待ができない。人間を資産だと考えず使い捨ての費用としか考えてないひとが多い気がします。 なので昇給も企業が抱える大きな問題として出てきますよね。がんばりに対する対価ではなく払わなきゃいけないもののような捉え方をしてはいないでしょうか・・・ 賛否を含めみなさまの意見を広く聞きたいと思いますのでよろしくお願いします。
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Aの利点は、上司に上司としての自覚と責任が問われる。というものがあります。人事や教育という管理職の職掌について有能な上司は部下に恵まれ、無能な上司の下では部下が育たず結果、成果も上がらない。ごまかしの効かない唯一の評価システムです。裏面にある危険性は、無能な上司を評価・教育・矯正する何かが存在しない場合、部署或は企業体や組織全体が無能に迎合するダメ集団になる点です。 B の利点として上げておられる、努力が評価されるとの点は、米国や日本の投機仲介会社や自動車販売会社の例で、また、それと裏面を為す、評価の為の努力(勤務評価の文科挙)化を惹き起こす点も単なる"危険性"でなく、ベトナム戦争当初の米国戦略空軍の弱体化の例で事実として指摘できるもので御座いますが、この危険は評価基準を現実に則したものに保ち、加えて(試験で問える様な)能力以前にその能力を組織の為に使用する意志を問うことのできる有能な評価者が存在した場合に回避できます。 Cも、実際はBと同様になります。なぜなら目標設定、達成度の判定、その指導を上司が行う訳ですから、御指摘の恣意的評価を行う様な劣等指揮官でなくても、普通に無能なだけで評価すべき点の全く無い尺度を評価に用いるシステムにしてしまえるからです。 三者を比べ見ますと、結局上司の質で如何なるシステムも機能を果たし又は失うと結論出来ます。 以上、私見ですが。
うちの会社は「C」方式です。 最終評価としては「S・A・B+・B-・C・D」の6段階です。 が、その評価点の計算方法にカラクリ(?)が有るのか、頑張ってどんなに いい成績あげても、頑張らなくてどんなに成績悪くても、最終の評価は「B+」 もしくは「B-」になります。 頑張ってもお茶を濁す程度の差しか付かないので、以前は優秀な営業マン だった人間がモチベーションを下げてしまった実例も有ります。 こうした制度を「無駄」とは決して考えていませんが、導入するならもう少し メリハリを付けないといかんですね。
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