解決済み
定年退職まで後10年、現在50才の会社員です。この歳になっても仕事に執着できずにいます。 いつの日も俺はこのままで良いのか? 俺の人生はこんなもんなのか? そんな毎日をすごしています、この歳になっても仕事に執着しないっておかしいですよね? 子供は二人でひとりは成人して働いています。 会社では、管理職です。 矢沢永吉さんのように、還暦過ぎてもハングリーな男になれるでしょうか? 皆様は、自分の仕事に誇りを持って勤務していますか? 会社に出勤しても、漠然としている毎日に嫌気がさしています。 中高年って? 何かアドバイスを頂けたら幸いです。 宜しくお願いいたします。 連休も辛いな~
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私は、あなたより年下ですが、あなたに近い年代です。会社ではあなたと同じように管理職ですが、執着するというよりは日々格闘している毎日です。 管理職になって、自分が成長することよりは、如何に部署内が円滑に回っていくことが出来るか、それだけを考える毎日です。 部下は、今までの自分のように、正しいと思えば詰めて来る。手を抜いていたり、ついて来れない同僚がいると、どうするんだ、やめさせろと詰めて来る。周りの部署は、自分たちの要求を私の部署の責任でやらせようと投げて来る。 正義だの道理だのと言って、結局は不合理なことを押しつけて来る周りとの戦いの日々です。 管理職になってから、気の休まったことはありません。精神的に疲労がたまると、休んでいても休まらないんです。 ただ、私は自分の意に反して、妥協したり譲ったりすることは決してしないつもりです。譲ればそれで解決ということは、社会の中ではあり得ないのです。譲れば、更にその先を要求してくる。つまり、自分の信念を貫くことこそ、やりがいもあれば失敗しても納得できるのです。 これからも、自分のチームを和でまとまるチームにすること、周りに対しては、道理を通し、信念を持って対応することを貫いていくつもりです。 自分にとって、良かったかどうかの結果なんて、多分退職してから出るものかなぁと思っています。 私は、会社がすべてだとは思っていません。私にとって家族の方がもっと大切ですし、その為に働いていると思ってもいます。 今の会社には、再就職したのですが、前の会社を辞めて失業した時には、私を励ましてくれる家族に対して、家族を自分の力で守ってやれなくなった不甲斐なさに涙が出ました。何としてでも守りたいと強く思いました。その強い思いが、今の会社で自分を管理職にまで押し上げたのだと思っています。 良いじゃないですか、自分の仕事に誇りが持てなくても。誰かがやらなければならないことですし、そのことで家族を守っていけるんです。そのことが、あなたの誇りです。
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私が残念なのは、50歳にもなって、自分のことが 自分で分からないということです。 迷ったり困ったりすることがあるのは、人間として生きていく以上、 避けられないことです。 しかし、50歳で自分の身の振り方に悩んでおられて、視野が狭くなり 自分以外の下の世代や部下のことに気が回らないというのは、何なのでしょうか。 若い間に自分の中身を詰めて、次に周りに目が向くのが 自然な流れだと思います。実際に部下も子供さんもおられるのだし。 これだけは間違いなく断言できますが、今のような状況では、 今の新卒の面接にさえたどり着けないと思います。説明会参加も大変です。 それ以前に、自己分析でつまづくかもしれません。 流れでなんとなくではなく、自分としっかり向き合わなければ。 少なくとも意欲や能力がある人が人を使う立場でいてほしいです。 そうでなければ、今の組織を外れたとたんに「社会的には」価値の ない人材とみなされるでしょう。 冷たいように聞こえるかもしれませんが、現在の経済状態や 雇用情勢では、仕事に対しては、このようにドライな割り切りが普通に なっているのです。最後には、自身の個人としての資質が問われます。 もちろん、仕事でもプライベートでも可能性さえ見つければ、誰でも何でも できる機会があります。自分で可能性や未来を見つけて切り開くのです。 具体的に言うと、仕事は広い意味で自分で見つけて自分でやるのです。 私が転職活動をしたときに、私より若い居酒屋の店長が、「自分で自分の 限界をつくったら、それ以上はできなくなる。カゴの中に入れられた虫は、 入れられてしばらくは抵抗するが、やがて動かなくなり出ようとしなくなる」と。 「青臭い話だ」と片付ければそれで終わりかもしれませんが、 私は妙に感銘を受けて、その店長さんと固く握手をした記憶が残っています。 ですが、その居酒屋の選考に進むことはしませんでしたが。 単純に自分には居酒屋の店員の仕事は向いていないと思ったので。 矢沢永吉さんは、いつまでもその可能性を見つけて、自分の 中にある壁や枠にだけとらわれていない柔軟性があるのだと思います。 それでいて自分のペースを崩しません。きっと「ストライクゾーン」が広いのでしょう。 何が起こっても、何があっても、その現実を受け入れ、その上で行動できる。 私もいつまでも生き生きと生きていきたいものです。
若い人は、比較的、ハングリー精神を持ちやすいと言えます。空腹時に、「おなかがいっぱいになるまで食べたい」と思うのと同じように、「人から認められたい」「尊敬されたい」「成功したい」「もっと成長したい」「偉くなりたい」「良い仕事をしたい」「もっと人を教えられるような人になりたい」など、いろいろな点で不足を感じていることだろうと思います。それが若い人の現状でしょう。 現在、30代、40代、50代、あるいはそれ以上の人たちも、みな、若い頃にはハングリーな状態にあったわけです。ところが、次第しだいに、そのハングリーな気持ち、”空腹”な気持ちを失っていきます。だんだん、「人生はこんなものだ」と現状を受け入れて、流されていくようになるのです。 人生は、だいたい、そのようにハングリー精神を失っていく流れになっているのですが、30代、40代、50代、60代になっても、ハングリー精神を持ち続けていただきたいと思うのです。 人間はハングリー精神を失ったときに”若者”ではなくなります。その人が若者であるかどうかを分けるものは、このハングリー精神の有無なのです。「まだ自分はじゅうぶんではない。まだ満腹していないぞ」という気持ちがあるかどうかです。 言葉をいいかえれば、「ネバー・ギブアップの精神です。ネバーギブアップとは「決して諦めない」ということです。 「まだまだ、ギブアップしないぞ。諦めていないぞ」という気持ちがあるうちは、その人は”若者”であると言えます。「まだあきらめていないぞ。まだ一花咲かせるぞ。まだハングリー精神を持っているぞ』という人は、例え年齢が40歳でも、50歳でも、60歳でも70歳でも、80歳でも、心において”若者”なのです。 たいていの人は途中で諦めてしまいます。「もう、現状のまま、あるがままでいい」と思い、惰性に流されていきます。慣性の法則で、それまでの生き方のままに流されていき、向上を目指さなくなります。それ以上、向上の階段をあがろうとはせず、それ以上、難しいことをしようとはせず、それ以上。、新しいことにチャレンジしようとはしなくなってくるのです。 これがハングリー精神を失った状態です。 年配の人たちは、ハングリーな気持ちを持っていた若者時代の自分というものを、もう一度振り返っていただきたいと思います。
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漠然と過ごしているのなら… 仕事を辞めて部下をあなたのポストに配置し給料を上げて下さい。 多分あなたはイラついたと思います。あなたはそれだけ一生懸命に仕事をしているのだと思います。 頑張って下さいとは言いません むしろ気楽に部下任せて仕事をしてみたら?
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