日本の薬学教育の歴史からそうなんですね。古典的には、私立薬科大学の前身が、「〇〇女子薬学校」「〇〇女子薬学専門学校」であることが多く、設立当初から、女性の理系教養学校としての役割を担っていたことが伺えます。明治後期~昭和初期ね。 「薬剤師は、家庭の主婦であっても仕事をしやすい職業」「勉強できるけど、女性であるがゆえに高等教育を受ける機会がなかった方の受け皿」としての教育機能が求められたのが、「女子薬学専門学校」が複数設立された理由です。埋もれていた優秀な女性を社会の中で活用しようというわけですね。このようにして、100年前に、女性向けの職業としての位置づけがなされたのです。看護婦のように、調剤婦なんて呼ばれた時代もあったんですよ。"職業婦人"の先駆者の一例だったんですね。 専門教育を受けられる国民がそもそも少なかった。さらに女性が教育受けるのはもっと困難だった時代に、女性向けの理系専門教育を施すというのは、相当先進的なことであり、一般人というよりは、"裕福なご家庭向けの、お嬢様リケジョ学校"的な側面があったわけです。 昭和を描いた小説などでも、「裕福な家庭育ちで勉学にも優れた頭の切れる女性」の典型的モデルとして、薬学校に通っている学生・女性薬剤師がしばしば描かれます。 女子薬学校以外に、男性が学ぶ場も当然ありました。帝国大学の医学部に薬学の専門教室が開き(東京大学薬学部の前身)、薬学分野の学生は、1955年には、男:女=50:50だったようです。繰り返しますが、女性が専門教育を受けるのが難しい時代ですから、それでも高い女性比率と言えます。この後、さらに女性の割合が増え、男:女=40:60になり、現在でも若干女性が多い状況が続いています。 平成初期までは、例えば女子大にはお嬢様学校的なステータスがあり、お嫁さん候補としての人気がありました。女子大出てすぐに結婚とか、そこそこの会社に入って、寿退社なんてこともザラで、「女子大の卒業アルバム=お見合いカタログ」なんて言われ方もしていました。それが良いかどうかはともかく、ひとつ、そういう女性の生き方があったわけですね。 それに対して、女性薬学生・薬剤師は、戦前からのイメージも付与され、上述の一般女子大の上位互換というか、ただのお嬢様ではなく、賢いお嬢様的なイメージもありました。「薬剤師免許=最強の嫁入り道具」と認識されていました。 また、「薬学部の男子は、同級生の女子と結婚できれば最高、女子はもっと上ランクの男を狙え」などとも言われていたものです。それは今でもそうかもしれませんが。 平成中期以降は、女に勉学は必要ないなんて言葉は過去のモノとなり、女性の進学率も上がったため、女子大生=お嬢様なんてイメージは消し飛んだと思いますが、ここまでつらつら書いてきたような要因もあり、女性比率の高さは続いています。 最近は、薬学部が6年制になり、特に私立は教育費・下宿代が超高額となるため、親が裕福でないと通わせるのが難しくなりました。今後、過去とはちょっと違う意味でのお嬢様学校に変わっていくかもしれません。 薬学では化学の高等教育が必須ですが、旧帝国大学の男性向け薬学教育機関は、有機合成化学などの専門性を高め、製薬、つまり薬を作る研究へと繋がっていきます。一方、女子薬学校の女性向け薬学教育機関は、分析化学などの専門性を高め、薬剤師教育機関としての役割を充実させていきます。国公立大学薬学部と、私立大学薬学部の、大枠での役割の違いは、今現在もそのまま残っていますし、薬剤師=女性の仕事のイメージも、未だにその名残があるのです。
予想になりますが、 女性のイベント後、職場に、復帰しやすいという点でわ
薬剤師は知りませんが看護師は男性ではやりにくいこととかあるんじゃないですか? そもそも一般から専門学校に入ろうとしても2人くらいしか枠がないところが多いらしいです。ではなぜこうなるのか。もちろん看護は女性が行うというイメージが多いのも現状でしょうが実習などで考えてください。やりにくくないですか?あと看護は昔下世話みたいなイメージだったそうです。男尊女卑の世の中でわざわざ男性が下世話である看護の仕事をすると思いますか?(昔といっても昭和よりも前の海外のイメージで)戦争とかでも男性が戦ってそれを介護するの女性みたいな。とにかく昔は看護の仕事というのは今みたいなイメージとは違うんです。女性しかやらないからそういうイメージになったのではないでしょうか?
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