解決済み
500枚・小学校教員志望者にはボランティアが必要?!意味が分かりません!「小学校教員目指す人は、子ども関係ボランティアに大学生のうちにたくさん行け」と先生が言います 大学の教育学部なのですが、 小学校目指す人は、子ども関係のボランティアに行った方がいいそうです 何でですか?? 僕は、小学校教員目指して教育学部に入学した1年です ちなみに、友達A君は、、、 小学生とキャンプするボランティア、 レクレーション、をするボランティア 勉強を一緒にするボランティア 料理を一緒にするボランティア など、1カ月に1回以上行ってるそうです 夏休みは、18日間も 子どもと勉強、料理、水泳、工作、外遊びを一緒にするボランティアに行ったそうです。 一体、何の意味があるのでしょうか?? 確かに、子供と話したり、ふれあったりすることで 子どもに慣れたりはしますが・・・ ボランティア行かなくても、実際教員になってから慣れたらいいと思いませんか? 教員になって数週間もしたら、嫌でも慣れるでしょうし・・・ 確かに、A君は、ボランティアのお陰で子どもには慣れてるとは思います。 でも僕は子どもには慣れてません けど、実際教員になって、A君が得をするのは、数週間程度ですよね?? 僕は、教員になってから、子どもに慣れたらいいだけですし。 それに、ボランティアで 勉強、料理、水泳などを教えたって言っても・・ 実際そんなボランティアで学んだからと言って、小学生に教えられる! なーんて甘い世界じゃないですよね 時間の無駄とまでは言いませんが。。。 そんな時間あるなら、勉強した方がいいと思いませんか??
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なってから慣れればいいといいますが たしかにごもっともです しかし採用する側からすればそれだけの意識高い人間とそうじゃない人間がいれば高いほうを採用するだけの話し また 採用されれば初任者でも10年目でも子供にとっては同じ「先生」として見られます スタート時点で子供に慣れているか慣れていないかは相当な差です ゆっくり慣れようなんて思ってるうちに子供のペースに巻き込まれてますよ 数週間の得というレベルではないです。 出会って三日で子供に見定められてます。 なにも考えずに流されるまま始業式から三日過ごせば確実に崩壊しますよ 採用されたい 教師として一日も早く子供と接したいと思うのであればボランティアいくくらいたいした話しではないと思います 自分も苦労した経験がありますので勉強がんばってください
なるほど:1
高校の教員をしています。 やはり、教員の仕事はボランティア的要素が多いからその精神を養う、意味があるのでは? 特に小学校の教員は子ども好きでないと、できないと思います。 また小学校では正規採用後から普通に担任です。ベテランの先生と普通に比較されます。親も保護者として学校に不慣れです。新採では「大丈夫かしら」と不安にもなります。 考えや心構えなどって、滲み出てきますよ。
ボランティアが不要だと言う人はその意識が低いとしか考えられない。 教員になりたい大学1年生がいて、 1人はボランティアで子どもとかかわり、子どもが好きになっていき、絶対に教員になりたいと強く思うようになる。 もう1人はボランティアの経験を数週間の違いと考え、教員になってから、子どもに『慣れれば』いいと考え、友達の行動を無駄だと批判してる。 どちらの行動が教員になろうとしてる者にとってふさわしいでしょうか? 答えはたくさんあるでしょうが、子どもがいる・子どもとかかわる・子どもが好きだから教職があるのではないですか? 友達のA君は子どもとかかわる中で、教職に対する思いを強め、現場でその思いを形にしていくでしょう。 ボランティアで経験してみて、子どもとかかわってみて、やっぱり教員になりたいと思ったという言葉には非常に説得力を感じます。 もし、A君がボランティアでかかわる中で教職は違うかもしれない、子どもが好きになれないと思うかもしれません。でも、それは行動したから得た大きなプラスですよね? 損得や慣れや無駄と言ってるようなあなたのような方が通用する『甘い世界』ではありません。 知恵袋に質問する時間があれば、1回やってみては? 厳しく書きましたが、ちなみに私も大学3回生の夏までその考え方でした。 行動したら、経験したら、考えがかわります。 頑張ってください。
道徳教育の一つとして、「福祉」が教育現場に必要としているからです。 教育方法論としての効果は多少なりあったとしても、それほど関係ありません。 あと、学校で指導するために「これはやらない・無関係だ」と切り捨てるのも 一つの仕事に対する価値観だとしても、教員の仕事はそういった一筋に行かない場合もあります。 普通に職務を全うしながら、ボランティア精神が必要な場面も出てきます。 ちなみに学校現場で「たかかだか数週間」を甘く見ると、 数週間の力の差であらゆる問題を引き起こしますよ。 一時間一時間の授業や一日一日の子どもたちとの学校生活を軽視することはできないです。 一般論的な「教員観」としても、世間の教員の責任能力の考えの流れとしても。 なお、教員採用試験のことしか考えない大学の教育系学部であれば、 その時点で「信用の欠ける」大学と私は認識します。 採用試験に合格することが、一つの教員としての質の違いであっても、 自治体毎に採用して「枠数」も「基準」が違うわけですし、 学生の主体性の欠ける指導はナンセンスですね。 教員になったあとに学校現場に迷惑かけるだけです。
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