「職業に貴賤なし」は江戸時代の思想家・石田梅岩(いしだばいがん)が最初に使った言葉です。もともとは「商業と農業や工業の間に貴賤の差はない」という意味の言葉でした。 江戸時代には「農業や工業はモノを生産するから貴い職業だけど、商業はモノを安く仕入れて高く売るだけの賤しい職業だ」という考え方が根強くありました。現代の企業でめちゃくちゃ乱暴に例えるなら「トヨタ自動車や鹿島建設は自動車やビルを作ってるから偉いけど、イオンやセブンアンドアイホールディングスはモノを安く仕入れて高く売ってるだけだから、要は転売ヤーと同じだろ、転売ヤーうっざ」という考え方です。 これに対して石田梅岩は言ったわけです。「違う」と。 「農業や工業にモノを生産するという社会的使命があるのと同じように、商業にもまた、世の中に円滑にモノを流通させるという社会的使命がある。だからこそ商業に従事する者は私利私欲に走って暴利を貪ってはならず、高い商道徳を持って社会に貢献しないといけないのである。農業や工業と商業の間に貴賤の差はない。すなわち、職業に貴賤なし」と。 ここまであれば、この意味ならば、「まあ、そうだな」と腑に落ちるんじゃないでじょうか。 ところが、この言葉が近代になって身分差別や職業差別をしてはならないという価値観と結びついて無制限に拡大解釈され「職業全般に貴賤の差を認めてはならない」という規範として語られるようになりました。風俗店勤務もパチンコ店勤務もトイチの高利貸しも医者も弁護士も貴賤なし。で、怪訝に思う人が出てくるわけです。ホンマかと。タテマエだろと。綺麗事だろと。 「この言葉は本当でしょうか」という問いは「この言葉は、古今東西、いつの時代でもどこの国でも通用する普遍的な真理でしょうか」という問いに置き換えてみれば、その価値観のおよその通用範囲は想像できるはずです。江戸時代に日本で生まれて近代以降に拡大解釈されたこの言葉は、日本という限られた地域の、近現代という限られた時代のなかで通用する価値観に過ぎません。 当然のことながら「職業に貴賤なし」ということわざは米国や欧州にはありません。米国に「人間は平等である(べきだ)」という考え方はあっても「すべての職業は同じ価値である(べきだ)」という考え方が、日本で語られるほど信奉すべき規範として共有されているわけではありません。 ですから、日本の風俗店で稼いでハワイに遊びに行って入国審査で職業を訊かれて風俗店の仕事内容を細かく説明して渡航目的を怪しまれて別室で尋問されたとき「職業に貴賤はありません。お金をもらって男性のおちんちんを舐める仕事と弁護士や教師の仕事に貴賤の違いはありません」と主張しても、理解してもらうのは困難です。そもそもそういう価値観や建て前が他国には無いからです。 あと、よく混同して語られるのですが職業の貴賤と職業の収入は別の問題です。貴賤とは「貴い・賤しい」のことであり、収入が「高給・薄給」であることとはイコールではありません。このふたつを同じものとみなしてしまうと「貴いけど薄給」「賤しいけど高給」という職業が存在する可能性について考えることが出来なくなります。
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んー。数千人とやってても素人ならいいのかって話にならん? それも嫌ってなら職業じゃなくて相手の貞操観念の話でせよね。
立ちんぼ娼婦、数百本の出演歴があるAV女優は「職業」だと認めませんから。 お金が儲かれば「職業」ではないです。 「裏稼業」です。
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