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上杉謙信は、なんで「分国法」を制定しなかったのですか? □ <これも疑問点> 分国法はなくても「個別法」は制定して…

上杉謙信は、なんで「分国法」を制定しなかったのですか? □ <これも疑問点> 分国法はなくても「個別法」は制定していたのでしょうか? □ <コトバンクの記述>戦国大名が領域(分国)支配のために制定発布した法令。「戦国家法」ともい う。戦国大名が随時必要に応じて発給した「個別法」に対し、家臣団および分 国に対する法全体の基礎とする目的で、恒久的効力を付与し制定発布した集成 法である。 □ <ウィキペディアの記述> 分国法には先行武家法である御成敗式目および建武式目の影響が見られるが、 一方では自らの分国支配の実情を反映した内容となっている。分国法が規定す る主な事項には、領民支配、家臣統制、寺社支配、所領相論、軍役、などがあ る。 □ また、分国法は戦国大名の家中を規律する家法(かほう)と、守護公権に由来 し国内一般を対象とする国法(こくほう)に区別される。 □ <上杉謙信>

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回答(1件)

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    基本的に上杉謙信は室町幕府への依存度が高かったからです。 分国法とは室町幕府が採用した御成敗式目、建武式目、建武以来追加式目など幕府のオフィシャルな法典に対して、自分の領国でのみ通用する法を追加、上書きするものです。 室町幕府の秩序に依存せず、独自の支配を固める過程で発生してくるものとなります。 つまり、分国法を定める大名とはもう室町幕府の支配に見切りをつけて、独自の秩序を作ろうとしてる勢力であるということです。 独自の法を発布するということは自分の王国を作っているのと同じです。 一方で、室町幕府の秩序に依存している古い志向の勢力は、あくまで御成敗式目、建武式目、建武以来追加式目など幕府法が唯一の法の大系なのでこれに統治を依拠しているのです。 若い頃は軍勢を連れて上洛し、足利義輝と結び幕府の秩序を回復させようとしたり、関東管領という幕府の秩序象徴のような立場に固執したりするのは、相当に保守的なマインドです。 上杉謙信は自分の王国を作っているのではなく、あくまで室町幕府の秩序を回復させる佐幕運動をしているとすれば分国法は要らないということになります。

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