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研究を職にしている人たちはそこから何を生み出すのでしょうか。うまく言えませんがなんとなく大学教員のように独自のテーマを持って研究してるような人たちです。もちろん教員たちは講義を通して学生の知識を養うとかそういう役立てがあると思いますが、研究に専念するために教員になる人もいるかと思います。その人たちは自分の研究をどうしたいのでしょうか。またただ自分の研究に没頭しているだけという人はいないのでしょうか。 今ジブリにすごく興味をひかれていて、具体的に何を学びたいのか自分でもわかりませんが構成や作品の意図などいろいろと読み漁っています。もし仮にジブリを研究したとして研究の先に何を見出せるでしょうか。別に第二のジブリを生み出したいとかそういう考えがあるわけではなく、ただ作品を深く理解したいと思っています。でも理解したその先はただの自己満しかないのでしょうか。何かその先に繋げられることはあると思いますか。
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みんな没頭しています。 ただ質問者さんと決定的に違うところがあります。 研究者は生産者であり、質問者さんは消費者です。 質問者さんが読んでいるのは生産者の努力の結晶です。 それを質問者さんは消費しているのです。 生産という行為には様々利益があるのです。 生産をすることで社会に必要とされたり、自分の地位が上がったりするので生産活動が有意義になるのです。 一方で質問者さんは生産者が生産したモノを消費することで心が満たされるのです。 でも、消費活動のため意識的にそれを続けても不毛だと感じ、 「理解したその先はただの自己満しかないのでしょうか。何かその先に繋げられることはあると思いますか。」 と考えるのです。 つまり、消費して満たされたため行動する意味を失い、不毛だと感じたのです。 砂糖や塩などの調味料は適量を摂取するば美味しいですが、過剰に摂取すれば体を壊す危険もあります。 砂糖が美味しいからとずっと食べていればどうなるか質問者さんも理解できると思います。 ジブリも、砂糖も本質は変わらないです。生産者が作った物を消費して楽しむものです。 ⇅ 生産者は消費者に商品をするなどにして名声やお金、社会的地位を手に入れるのです。 両者は似て非なるものです。
研究者達は未来に繋げられると信じてやってます どうしたいか。まだ見ぬ何かを見つけるためにやってる だからこそノーベル賞などがある あなたの場合は別だと思います 誰かが作って完成したものを調べたところでそれは研究とは言えない ただの欲求の解決です だって、結局最終的にはそれを作った人に意図や意味を訊けば良いんだから
研究を職にしている人は今まで証明されてなかったことを証明するのが仕事じゃないのかね。 それをどういうふうに実用化して商品にするのかは別の職の仕事だと思うが。。
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