解決済み
採用担当しているものです。 人の為なら努力を惜しまない!は言い過ぎな感じしますね。 ・誰に対してもですか? ・自分が大きなリスクを被ってでもですか? と感じます。 もう少し、謙遜入れたり、 可愛げがあった方がいいかもしれません。 例えば、 「おせっかいやきです」とか、 人が困ってたらついつい関わってしまう。 お礼を言われたら良かったな~とうれしい。 優越感にひたったりする。 逆にそれが短所で何でも引き受けて 自分のことがおろそかになったりする。 みたいなのです。 どうですか? 同じような事伝えられていると思います。 でも、いやらしく感じないから、 意地悪な質問しようと思わないでしょ。 ちなみに、評価は相手がするもので、 自分がするものではありません。 ですから、自分で評価を強調すると、 相手の感じ方がよろしくなくなるのです。 なので、相手に感じもらえればそれでいい。 ご参考まで。
ダメでは無いですが、人の為に努力を惜しまないであれば、その対価や評価を求めてると思われない方が良いかも知れません。 質問から逸れますし、あくまで、個人的な見解も含まれますが、それ以上にエピソードが気になります。 人の為に努力を惜しまないというのは、赤の他人に、自分の労力を削って、自分は不利益を蒙るけど、目立たないところで助ける、縁の下の力持ちみたいなイメージがあります。正にボランティアとか慈善活動ですよね。 エピソードを見ると、人の為というより、あくまで自分のコミュニティの中の盛り上げ役、中心人物ってイメージの方が強いので、人に感謝されるっていうのも、幹事やってくれてありがとうって感じなのかなぁという風に思うのですが、いかがでしょうか?飲み会の幹事って、出席確認して、お店予約して、会計してってくらいかとおもいますが、それを人の為というのは、ちょっと大袈裟な感じはします。
自己分析したうえでのものならそれはそのまま伝えても構いません。 ただ厳しい事を申し上げれば、サークルでの出来事や飲み会の幹事、つまり同じような遊び仲間での世話役みたいなものが前提となってます。 従って感謝の強要というよりむしろ、正直厳しさが感じられませんので、理由にイマイチ説得力を感じません。 会社は同じような嗜好を持った人たちだけの集まりではないので、そうでない人たちに対しても同じような接し方ができるのかどうか?もしできないとするなら、それは長所ではないということですからね。 その辺が脆弱に感じます。
「人の為なら努力を惜しまない」と「人に感謝されるのが好き」は矛盾する危険があります。 新約聖書には(良い事をする場合は)『右の手のする事を左の手に知らせるな』と書いてありますよ。 逆に、新約聖書によれば人に褒められたいがゆえに良い事をするのは偽善者という事になります。 貴方が神仏なら話は別ですが、「人の為なら努力を惜しまない」を長所にするのは『危険が危ない』(猫型ロボット)ですよ。 私なら「人の為なら努力を惜しまない」等とは絶対に言いません。 思い上がっている嫌な奴と思われるのがオチでしょう。 それだったら、親鸞聖人の『いずれの行もおよび難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし』(歎異抄)の方がまだ好印象だと思いますよ。(真面な企業の場合) 『高くする者は低くされ、低くする者は高くされるであろう』(新約聖書)
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