かつて日産の労働組合は、塩路一郎さんという方が委員長を長く勤められました。 塩路さんは1950年代に、日産社内が共産党系労働組合に占拠され労働争議で社内が荒れていた頃に、会社幹部に協力して第二組合を結成し、共産党系組合を排除することに成功します。当時の川又社長と親密な関係を保ち、力を蓄えました。 この後、日産社内に留まらず、自動車総連を結成し会長に、全民労協を結成の際は副議長に。 塩路さんは品川に豪邸を持ち、プレジデントを愛車にし、ヨットを所有する、といった生活を謳歌していました。 日産の重役が就任する際は、塩路さんに挨拶を欠かすことは無く、批判をした重役は左遷されたそう。 1970年代後半に当時の石原社長がイギリス工場建設を決めた際は猛反対し、生産活動を止めるなどと言って脅したそうです。 日産の経営に口出しをし、現場の人事権にも影響を及ぼして会社の足を引っ張り、現在では、労働組合に権力を持たせた悪しき前例、トヨタに離される原因を作った、とも見做されているそうです。 塩路さんは、最後には会社経営陣との関係が悪化し、スキャンダルが発覚して労働組合からの不満も表に出るようになり、組合から引退したそうです。
なるほど:1
労組の力とは会社の意見より組合の意見が通ると言う事で、いくら会社が資金繰り困っていても組合が無茶ばかり言って遂に会社が倒産したっていう事があります。
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