海上保険(船舶と積荷)から発足した損保は「海上火災保険」、火災保険から発足した損保 は「火災海上保険」です。近時「損害保険ジャパン」、「日本興亜損害保険」、「ソニー損害 保険」、「ジェイアイ傷害火災保険」などの名称も登場しています。 損保は元々海上保険から出発しました。帆船で難破や海賊の危険に満ちた航海は1種の賭け でした。投資家があるいは1人や数人、またはたくさんの投資家が少しずつ金を出し合って航海に 投資し、難破や海賊の襲撃で帰港しなければ投資金はご破算、無事に帰港すれば莫大な貿易による利益に与れるという1種の冒険でした。この時代の投資を「冒険貸借」といい、海上保険のルーツです。 文字通り帰らなければ投資金は無駄、帰れば莫大な利益が転がり込む冒険でした。「ベニスの商 人」でなぜ保険をかけなかったのか話題になりますが、当時すでに保険らしきものはあったけれど、この保険はいまの保険以前の保険で、投資額(保険料)が莫大だったため保険をかけなかったという白鴎大学の戸出教授の論稿があります。 当時は賭けと保険が区別されておらず一緒でした。そのためルイ15世の愛妾・ポンパドゥール夫人(URL)に対する寵愛が何年続くかということまで賭けと保険の対象になりました。やがて賭けと保険を区別するものとして「被保険利益」の概念が導入され、やっと保険は賭けの領域から独立しました。 当時の帆船は難破が多く、船を失って帰国すると船長は投資家たちのすさまじい非難にさらされた ため、難破船の船長は避難せず船と運命を共にする者が続出し、いつしかそれが慣行になりました。その慣行は軍艦・海軍にも引き継がれました。「船と運命を共にする」のは商船から始まり軍艦に引き継がれた慣行です。 海上保険は損保のルーツです。他方ロンドン大火、シカゴ大火を経て火災保険の必要性が認識され、火災保険が普及しました。その後ロンドンの辻馬車が人をひいたことの賠償責任を担保する賠償責任保険が生まれました。いまの自動車保険のルーツです。その後実にさまざまな保険が開発されて今日に至ります。
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