文系大学生は高校までの数学や理科の科目の履修が極端に少ないので大変と思います。高校で履修しなければ知有学生レベルですので、機械を設計するなどのことは厳しいと思います。勉強しなおせば別ですが。 1980年代以降、文科省の学習指導要領による教育、高校の理系科目の教育内容の削減政策を行ってきました。現在、高校の理科の科目は、伝統的に物理、化学、生物、地学に分けられていた科目を13科目に細分化して、そのうちの2科目を選択すればよい。それ以前は、理系の自分の場合は、理系科目はすべて履修し、社会は日本史だけ履修しませんでした。さらに、以前は、大学入試で理系、文系に関係なく理科、社会で6科目履修し3科目か4科目の受験でしたが、センター試験では 社会、理科はそれぞれ1科目、二次試験では、国立大の場合、理系に、社会無し、理科は、2科目、文系に理科無し、社会2科目となっています。私立大は更に少なくなっています。高校では、2年から理系、文系に分かれ、受験に不要な科目の履修は軽視されています。高校まで明らかに学習する科目が極端に少なくなっています。全入の時代、1980年以前に戻すべきです。今まで、世界の技術社会の中で日本が高い技術力を維持してきたのは、以前は米国の大学並みの教養教育の基本を学ぶ高校教育であったと言われています。高校での履修科目が理系、文系とも極端に1980年以前と比較すると少なくなっているのが問題です。 東大の仏文科と哲学科を経験し、東大で非常勤講師をしていた立花隆氏は、「東大生はバカになったか 知的亡国論」(文芸春秋)の書籍で東大の現状をかなり詳細に書いています。東大の理科二類は農学、三類は医学部への進学コースでですが、生物を学んでこなかった学生は約4割に達するようです。生物が中学レベルの学生がバイオを学んだり、医者を目指すことになります。東大でも生物の補習授業が行われています。また、1994年のデータですが、高校生の理科の科目の履修は、物理約11%,化学約55%、生物約40%、地学約7%というデータがあります。いずれの科目も1970年頃は地学を除いて80%以上の履修でした。この程度の人数しか理科の科目を履修していない現状では高度な技術開発と教養の達成は無理です。 高校での履修科目が理系、文系とも1980年以前と比較すると極端に少なくなっているのが問題です。立花氏は"科学を知らない野蛮人"と言っています。立花隆氏は日本の教育にはもともと暗記中心の慣例があり、特に、大学受験中心になるとこの傾向が強くなり、知識を入れるだけの"湯飲み"になってしまっていると指摘しています。センター試験が悪い例で、以前のように、各大学で試験を行い、論述を主体とする入試に戻すべきです。文科省も入試制度を変えるべきです。全入の時代、センター試験の設立主旨からしたら不用の時代になりました。 ソニーの5代目社長 大賀典雄氏は東京藝術大学音楽学部声楽科に進学し、父親が戦後隅田川沿いに土地を買い、両国にグランドピアノ付きの家を建ててくれ、そこから上野に通学した。後にバリトン歌手として活動。同大学在学中に東京通信工業(のちのソニー)のテープレコーダーの音質にクレームをつけたのがきっかけで同社嘱託となりました。その後、ソニーに入社。コンパクトディスクの開発、ミニディスク(MD)等の開発。音楽家がいろいろな機器を開発するには科学を知らないと不可能と思います。 日本人の教育と教養のレベルは今になっても外国と比較すると高く、また、性善説に基づいており、そのため、日本の大学は、教養を軽視したと思います。戦争、敗戦、米国の占領、朝鮮戦争、高度経済成長、バブル崩壊と不運、幸運とあり、検証することなく、経過し、教育も何も軽視されてきたと思います。戦時中は、教育とか文化どころでなく、戦後は食べるものの心配、そのようにして育った人、その子供、孫、最近の社会状況を見ると、まだ戦後が続いているのではと思います。桝添さんや政治家などの不正を見ていますと教養の無い人が多くなったと感じます。
なるほど:1
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