解決済み
芸術系の趣味を一切やらない方に質問です。芸術系の趣味をやる人間およびプロの芸術家って、なんで相手の事情をよく知ろうともしないで勝手な偏見で他人の事を見下したり、人格攻撃したり他人を排除するんでしょうか?そういう人が多いと思います。特に管楽器。管楽器以外でも多少はそういうことあると思いますが。 例えば、私がひざにサポーターを巻いた状態で、床に置いたケースに管楽器を収納する時、ひざが痛いので前屈姿勢で収納していたら、そばにいた管楽器奏者が突然激怒し「みっともないからしゃがんで収納しなさい!」と言ってももの裏をぴシャッと叩いてきたので「膝を見て物を言って下さい」といったんですが、理解されませんでした。 また、書道の先生でも、上記のようにひざにサポーターを巻いている状態なので正座を崩したら、あたかもこちらが横着したかのように「みっともないから正座を崩すな」と怒鳴られました。「怪我してて正座できないんです」と言っても理解してくれませんでした。 まず、たとえサポーターが目に入らないだとか、仮にサポーターしていなかったとしても、一見相手がみっともない事をしていても、普通は「膝が悪いのか?」と思うだろうし、そのみっともない事をやる理由がわからなければ「どうしてそういう事をするの?」と事情聴取するのが先でというか、大人の常識ではないのでしょうか?いきなりあたかもこちらが横着な気持ちからみっともない事をしていると決めつけられたのが未だに納得できません。 あと、陶芸教室の先生でも、「何を作りたいですか?」と聞かれたので「水盤がいいです」と言ったら突然キレて「この粘土の量をみて物を言いなさいよ!!せいぜいコップ位しかできないのにそんなことを言われたくない!」と言われました。 で、こういう事を管楽器はじめ芸術やってる人に相談したら「普通はそんな事位でキレない。切れられるあなたに問題がある」と言って、さらに人格否定をされます。こちらは事実を述べているのにあたかも私が嘘を言っているかのような言い方を彼らはしてきます。 ちなみに、前屈で楽器を収納した件、書道で正座を崩した件、陶芸教室の件、全部20代前半の事です。でも当時自分は高校生か下手したら中学生に見える外見だったんです。だから、芸術家は自分より弱そうに見える人間を攻撃するような人なのではないかと私は分析します。
カテ変えさせて頂きました。
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単純に言えばコミュニケーション不足です。あなたの「サポーターをしているんだから、ひざが悪いのはわかるだろ」という傲慢な態度は、普段の何気ない態度にも出てはいませんか?何かしら言われるのは、こちらに原因がある場合もあるし、ない場合もある。でも何かの活動に参加するたび、言われることはそうはありません。単に芸術家云々の問題ではありません。例えばあなたが「今日は足が痛くて膝が曲げられないので、こんな格好で失礼します。」と一言先に言っていれば、何の問題も起こらなかったように思います。見ればわかるだろ、そんなこと誰でも知っているだろ、的な態度では、相手の理解は得られません。相手とのコミュニケーションは大切なことです。先生といわれる人は、あなたより目上なのですから、傲慢と見られないよう、へりくだった態度をとることも必要です。
お邪魔します 先日のニュースで「国立競技場」の建設費が莫大、その釈明?か何かワカリマセンが、そのデザインを選んだエライ建築家の方が、 「なんで2520億円もするのか私も知りたい」 「私は斬新的なデザインを選んだだけ、歴史に残るモノを…」 「日本のゼネコンが利益無視で建設に協力すれば…」 と、言っておりました アキレませんか? こうなると、彼(=芸術家)=狭い世界(小さなものさし)でしか物事を理解できない「井の中の蛙」かな~なんて思ったりします いまだに精神論(根性で何とかしろ!みないな)者が多いのかな?とも思うし。 ※あくまで「一部の」芸術家です。アスリートなども含みません 主様の質問内容からは 権威を失いたくないために、威厳を保つために、他人の痛みは理解しないのか?とか思うし 芸術家は自分より弱そうに見える人間を攻撃するような人なのではないかと私は分析します>> 芸術家だけじゃなくて、一般的にそんな人が多いなぁと私は思います この知恵袋でも、そういう気がしてます
ボ、ボクは小学生でしゅが・・・ 文化として自分の変な人格を昇華するまでにやっちゃうのが、金銭の授受をともなうプロの芸術家ですよね。ということは、逆に考えるとほかの職業適性がない、つまりは一般市民社会には不適応だったような人間がその手の世界に残っちゃうのです。ショービジネスの伝統国技は不健康だから外国人のスポーツマンしか現在なり手がないというか、有能な才能があるのならもっと違うところで自己を開化させたいと思うはずです。ざんねんながら、一度世代を風靡した使い終わったごみくずを、過去の栄光をアンカーさせて保持することで自分の至らなさを補償する心理機制があるので、また終わったお祭りの後始末をやってくれる人間もこの世の中には必要だと思うので、時代が保守的なほど過去の芸術とは人格に隔たりがあるような人間が集まるようですね。本邦の芸術の人間は明治維新の時に日本の工芸品が海外に流出したのは残念だとか語られますが、実際は市場に出て市場により評価されることで芸術が広まり発展するはずなのです。でもそんな活動はしなくてもその種類の人間には芸術領域が維持されていたというのは、他者を必要としない自分本位のプロではないパクリのニセモノだったということで、その剽窃行為は暴力と差別によって保障される種類だったのでしょうね。質問者はずいぶんとその手のスクールにお出かけされるようですが、経験としてあまり熱心でないその世界の先生の実力を超えないで気分を立ててくれる生徒のほうが芸術の授業では扱いがよくなります。自分の体験では、客観科学の数学や理科や英語が得意であれば主観評価の美術のテストの点数はそこそこ内申書をもってくれてくれました。パワーバランスで評価され評価がニセモノだとばれても、今さら訂正するわけにはいかないので、ずっとホンモノになるのだなあと分析しました。
なるほど:1
あなたの体験した数十の事例から数百万人~数千万人の「芸術系の趣味をやる人間およびプロの芸術家」の人間性の傾向を類推するのは無理があるのではないでしょうか。 もちろん、巡り会わせが悪く自分本位な人たちばかりと遭遇してしまった可能性もありますし、自分では気付かないが「普通はそんな事位でキレない。切れられるあなたに問題がある」場合もあるでしょう。 自分にはそんなつもりはないが、仕草、表情などが相手には何となく生意気そうに見えてしまったり、嫌々やっているように見えてしまったかもしれません。 いわゆる「先生」と呼ばれる人の中には、充分尊敬されないていないと機嫌が悪くなる人も比較的多くいるでしょうから、先生・生徒意識が薄く、たまたまあなたは教える人、私は教わる人程度の意識でいると先生が意地悪しないとは言えません。 私は書道は分かりませんが、正座できないのであれば欠席すべきで、書道をするべきではないくらいの厳しいものがあるのかもしれません。
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