解決済み
剣についてなんですが、稽古するのに現代剣道の様に面、籠手、胴を打つ。自分の道場は居合、抜刀で真剣を使い斬ります。 形もですが。剣て斬るか斬られるかの一発勝負だと思うんですが剣道の様に相手にも打たせる、背中も向ける。でも十年、二十年と立ち会ってきた凄みは分かるんですが、これが本当に剣なのか・・・。小野忠明も斬らなければ修業にならないと言っていたみたいで、逆に江戸柳生は竹刀稽古中心でしたが江戸中期には廃れてきて小野派一刀流は現代まで脈々と受け継がれているのは、やはり、剣は斬るのみなのではないでしょうか。 禅や思想を付けるべきではないと思うのですが・・・。
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剣「道」ですから。 剣術とは違います。 剣に対する思いは人それぞれで良いと思います。 貴方の考えは昔からの伝統や剣術に対する本質としては、素晴らしい考えだと思います。 しかし、他の人の考えも尊重しなければならない。 銃刀法で刀の所持が禁止されている今の日本で、剣を習うことは間違っているという考えの人もいるでしょう。 そういう点では、武道として体力と精神の鍛錬が出来て、尚且つその辺の棒で戦うことの出来る剣道というのは現代日本にマッチしていると言えます。 また、安全度が全く違います。 現代の日本で競技として発展したのが剣道です。 貴方の言う剣は、伝統と本質を受け継ぐ剣術です。 どちらが間違っているとか、正しいとかありません。 どちらも正しいのです。 ただ、たった一つの流派が残っているから剣術の方が優れているというのは暴論です。 多数ある剣術の流派のうち竹刀防具を使う流派を統合し、競技として発展させたのが剣道です。 つまり、竹刀防具を使う流派の大部分が残って大きくなり、純粋な剣術のみの流派は殆ど無くなったという事です。
剣で闘うという事は理論の応酬です。「剣で勝つ方法」を知っていなければならず更にその理論を体現できる技術力が必要です。 また、日本の剣術は巻藁の据物を敵に想定しているのではなく自分より強そうなヤツが薄笑を浮かべながらゆら〜っと近づいて来るような感じの事を想定しています。 明らかにヤバそうなヤツを目の前にして「冷静に観察し情報を分析し戦略を練る…」それを場合により一瞬で行うには…禅により精神を研いておく事が必要なのです。 斬って斬って斬りまくる稽古も意味はあるのでしょうがその事(精神鍛錬の必要性)が如何に大事であるかを知るのが自分の血煙が舞い上がり意識が薄れて行く時では哀しいと思います。
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