解決済み
よく昭和時代と平成時代の教育を比べて、体罰が容認されていた昭和時代を肯定する人がいますが、手を出していない子供に対して手を出し外面的な傷を与えるという行為が傷害罪になるということを当時の教師は理解していたのですか?昭和時代の体罰は凄かったらしいですが。
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元教員の者です。 体罰は学校教育法第11条において戦後何十年にもわたって禁止されております。 これは教員採用試験でも問われる基本中の基本です。 普通は教師が知らないわけないのです。 それでも平気で体罰は行われておりました。 私が生徒だった昭和の半ばごろ今と比較にならないほど子どもの数が多かったのです。 一時期,校舎の窓ガラスは割られ不良が闊歩するような光景がみられることもありました。 こうした中,体罰を使ってでも生徒を抑え込める武闘派の教師が重宝されたのです。 当時,教師は「聖職」といわれ,保護者も教師のすることは絶対的であるという認識があったため大きな問題にはなりませんでした。 生徒指導の教師が生徒の骨が折れるまで殴る,顔面血まみれになるまで殴る。 些細なことでも口より先に手が出る教師も少なくはありませんでした。 私もクラスの連帯責任,果ては濡れ衣をきせられ聞く耳もたずぼこぼこにされたことは未だにトラウマです。 その後,少子化により多少ほとぼりはおさまりましたがズルズルと体罰は続いておりました。 体罰があっても校長や教頭は黙認,あるいは校長や教頭も平気で生徒を殴っていた学校もあったので表沙汰にはならなかったのだと思います。 かつて私の同僚だった体罰をしょちゅうする教師は,最近,市の教育長になり「体罰は許されない行為」などと大勢の教師の前で話していた時には開いた口がふさがりませんでした。 桜ノ宮高校の件で体罰がクローズアップされたことは記憶に新しいですね。 私は教職を離れてもう長いですが数は減ったものの表にでないだけで最近まで体罰普通にあったはずです。 以下は私の考えですが・・ 私は厳しい教師であったとは思いますが,1回も体罰はしたことはありません。 上で記したような教師にだけはなるまいと思ったのが教職を志した理由です。 体罰なんていうからダメなんです。 暴力行為・傷害罪,立派な犯罪ですよ。 体罰にちょっともそっともないんですよ。 そこで容認してしまえば線引きができなくなります。 それで加減を知らない教師が生徒殺したりするんですよ。 それでもやる教師は自分がクビになることを覚悟してやってるのでしょうかね。 しかしね,その場の怒りに任せて殴ったという事例が大半です。 理性的に体罰を行うなんてことはありえない。 そもそも重大なルール違反をした教師が同じくルール違反をした生徒を罰する資格なんてないんですよ。 自分の感情もまともにおさえられない,暴力に頼らなければ生徒を押さえつけられない指導力のかけらもない。 生徒側も体罰が「怖いからやめておこう」 これはもはや思考停止です。 動物と同じように生徒を育てるなら結構。。 ロボットを作るのなら結構。 しかし,自分を律する自律した人間になるためにはなぜそれがだめなのか,どうすべきなのかこ自らの内から考え改めなおさせる指導がひつようなのです。 一時は体罰でおさまったように見えても子どもの性根はまがったままです。 怒られなければやってもいい。 ばれなければかまわない。 その本質からかえなきゃ人間変わりません。 殴られて育った人はそのやり方に疑問をもたなくなります。 それで,それを当たり前のように繰り返す。 私と同級生のよく教師に殴られていた悪ガキが体育教師になりましたが,生徒指導主事のころ生徒を殴りまくっていたという話を知っております。 そいつは不良校を叩き直した指導力の高い教員として有名になり40代で校長になりました。 学校教育が体罰を悪いと認識しながらも黙認し,それに頼り続けた時代が続いたのです。 そんな風にして体罰は再生産されつづけたのではないでしょうかね。 いかがでしょうか? よろしければお返事いただければ幸いです。 (読み捨てなどはしないでください)
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手加減を知ってましたよ、当時の人は。 ゲンコツ一つを見ても、今の人は加減が解らないから「思いっきり」殴るのです。 自分のアタマをゲンコツで殴って痛みを調べようとしないからなんですね。 まあ、「バカが多くなった」ということです。
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