解決済み
大学教授と小中高教員はなぜこんなに待遇が違うのですか。 大学教授って言ってみれば、 豪華な自由研究をやってるようなもんで、所詮好きなことをやってるだけですよね。授業だって、好きなようにやればよいものです。 もちろん、その道のトップの学者ならば社会への還元やさまざまなコネクションなど責任も大きかろうですが、ただいるだけの教授もいます。 どちらにせよ所詮好きなことです。 対して小中高の教員は、 (事実上高校もほぼ)義務教育、つまり どんな子どもにも対応せねばならず、その学力や心身の発達にまで業務が及び、その授業準備や採点等で残業、家に帰ったら科目の勉強、 進路やいじめ、部活指導、 そしてクレーム対応や掃除という雑用までやる。しかも近年は何か事件があるとすぐテレビ、ネットが騒いで責任を被せてくる。公立なら教育委員会との兼ね合い、私立なら実績をもとめる上との兼ね合いもある 明らかに過重労働ではないですか。 というか1人では無理です。そりゃいじめが放ったらかしにされる訳です。 例えば、大学の授業内容なんて知らなくても良いもので、そもそも志望者しか通いません。ですが、義務教育の読み書き、算数、公民、保健が無かったら生活すら困りますよね。国が成り立ちません。 こういう点から小中高の先生の方が重要性が高いと思うのですが、 実際は社会的地位もお金も実質労働時間も断然違います。 これは不当じゃないですか。 (特に賃金) なぜこんなに格差があるんですか。
例外で比較しないで下さい、 第一線で研究されている大学教授については言っていません。そういう一握りの方たちは人類規模の発明や研究をしているので、いくら待遇されても当然です。 そうではなくその他大勢の、教授という地位に甘んじているような人をさしています。そもそも彼らに需要は無いと思うんです。 また校長も、小中高教員の中では例外なのでここには含みません。
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国が成り立たないのは、大卒がいなくなっても同じことでしょうね。 >教授という地位に甘んじているような人をさしています。 これは義務教育の教員たちにもいますので、大学に限ったことではありません。 こういう疑問は、自分が国王になって国を統括する立場になって考えたら分かり易いと思います。 インフラの設備、外交その他もろもろ。 無能な経営者がトップでは会社が傾きますし、通信手段が途絶えただけで国は混乱。そういった問題を解決するにも専門家たちは必須ですね。もちろん大学教員全てでは仰っていますので、そう言った専門家を育てる能力のある教授が必要と言うのは異論ないことと思います。ただ、そう言った能力のある人材はリスクを避けます。結果的に無能な人材が多く集まってしまうとしても、そう言った余裕のある世界にしておかないと、優秀な人材も逃げてしまいます。 求める人材だけを上手く集めるようなことが出来ると思いますか? 今の日本の経済は技術産業の賜物。それを築いたのは多くの専門家たちです。 もちろん、あなたが国王で「先進国にならなくても良い」と言うなら、大学は必要ないのでしょうが、多くの国民は途上国よりも先進国の方が良いと思うでしょう。 繰り返しますが、能力のある人材はリスクを避けますし、仮に失敗してしまってもある程度は潰しが効くようにしないと、人材が集まらないということです。ハメられて失脚させられるようなこともありますしね。
面白いお話ですね。 でも少し論点がずれているかもしれません。 大学教員の需要は何も人類規模の発明や、研究ばかりではありません。全員がニュートンやフーリエ、ノイマンみたいな天才ではありませんし、大発明や大発見なんてそうそうあるものではないでしょう。 地味な基礎研究などで多くの時間を費やし、得られた知見を次世代に引き継ぎ成果に近づける、そんな研究がほとんどでしょうし、それこそが研究の本筋だと思うのですがね。 また私たちが何らかの技術的・論理的示唆を得たい時に相談するのは「学校の先生」ではなく「専門家」です。教科書的な「古い、時には大きくずれた」知識ではなく、コンテンポラリーで特別な知見が重要だからですね。別にその道のトップではなくとも、時には研究で培ったコネクションを利用することもあります。 失礼ですが、どの大学教授も少なくとも小中高の先生より能力が低いということはありません。私が知る限りでは。そもそもそんな人は教授にはなれません、今の時代。 活動する畑が違うのですから、比較する事自体無意味だと思いますよ。 >例えば、大学の授業内容なんて知らなくても良いもので、そもそも志望者しか通いません。ですが、義務教育の読み書き、算数、公民、保健が無かったら生活すら困りますよね。国が成り立ちません。 こんなことを言っている国はいつか滅びますね。今の日本が情けない状況なのは、猫もしゃくしも大学に進学する中、国民性を反映してか多くの大学生がまともに大学で学ばないからでしょうね。 小中高の教養は大学で学ぶための土台でしかありませんし、大学でやっと本来の意味での勉学ができるということだと思うのですが。勿論小中高でバカな学生は問題外ですけど。
なるほど:1
大学の教授の授業が自由なのはそれが最高だからです。 細かく別れた分野の中で一番優れたものである以上それに意見を述べる事はできません。 だから国などの制約を全く受けないので自由なのです。 賃金の問題に関しては大学でも講師なら暮らしていくのも大変なくらい薄給で明日は失業しかねないのですよ。 学校でも校長ぐらいになれば少しは楽になるのではないですか。 また学校の教師はものすごく多くて欠員があればすぐ補充がききますが、実力のある大学の先生は貴重なので需要と供給の関係から言ってもそうなることは必然です。 さらに教師のなかには、子供のためにという奉仕の観点にたって仕事をする人が多くて苦労を厭わない人がいるので、たくさんの仕事に文句も言わずにします。だから普通に仕事と考えて教師になった人は大変だと感じるのでしょう。
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