解決済み
「心を病んでいる人を救いたいと思ったから」「私自信が精神的に病んでその苦しみを知っているから助けられる」 このような理由で臨床心理学やカウンセリングの領域に興味を持つ方は多かったりします。 臨床心理士についても、きっかけは個人的な心理体験や研究や実践を追求したい気持ちがやはり多いのかなと思うのが私見です。 一般的に人は困っている人や悩んでいる人を目の前にするとその人の気持ちを感じて助けたり、何かやってあげようとする傾向があり、心理学の用語で向社会的行動と呼ばれます。 また、個人的に辛い体験をしたり、不遇な環境を生きてきた事を振り返って、他人への援助欲求が高められたり活性化する働きがあります。 人を助ける、救う…社会的にとてもすばらしい事だと思います。 しかしその背景には意識できない場合もあるかもしれませんが、人を助ける事で自分を癒したい、認められたい、必要とされたいと言う複雑な葛藤やコンプレックスが潜在している可能性があったり、自分自身の欲望の目的になっていてそれが良くない形で表現されたり、人や自分を傷付ける恐れがあります。 何をもって救うとされるのか、助けるとされるのか…避けては通れない命題です。 骨折した経験があるから整形外科医になれるという論理が成立しないように、臨床心理士も心を病んだから人の心のありようを扱い、援助していけるわけではなく、人を理解するための学問をベースに絶え間無い訓練や勉強、自らの成熟が必要です。 個人的な想いや葛藤を整理しながら職業としての倫理、専門性をきちんと確立するために、自分自身にありのまま向き合う力があるのかも問われると思います。 きっかけはどうであれ、心理臨床をやっていくに当たって努力をし続けられる意思と証明を発信していける事が必要かもしれないですね。
1人が参考になると回答しました
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
求人の検索結果を見る