芸能関係者(歌舞伎に限らず)は士農工商という身分制度の中に含まれませんし、芸を披露して米や銭を乞うことから「乞食」と侮蔑した呼び方がありますが、歌舞伎に限っていえば、その発生当時からかなり人気があって騒がれていたようです。 (もしかして、“乞食のような人がその日暮らしをするための職業”というのは、いわゆる流しの大道芸人や門付芸人のことでしょうか?歌舞伎はこれとは違います) 阿国が始祖といわれる歌舞伎は、その成立当初は女性だけが演じていたのですが、人気のある芸人をめぐって観客同士の争いが絶えず、「女は舞台に上がってはいけない」という禁止令が出されます。 それで今度は“元服前の少年(若衆)”が舞台に立つようになるのですが、これも今のジャニーズみたいなもので、人気が高く、また芸人をめぐって事件が絶えず、「若衆は舞台に立ってはいけない」と禁止令が出されます。 しかし、すでに民衆の「かぶき」という娯楽を求める声は高く、幕府も条件付きで「かぶき」の上演許可を出します。 ・成人男子のみ舞台に立つこと(元服した証として、前髪を剃りおとして「野郎あたま」にすること) ・観客の気持ちを煽るような歌や舞を中心にするのではなく、「物真似狂言尽くし」にすること(簡単にいえば、ショーやレビューではなく、きちんとストーリーのあるドラマを中心に上演しろ、ということです) これが今の歌舞伎に繋がっている訳です。 しかし、その後も歌舞伎の人気は高く、人気役者がちやほやされるのは今も昔も変わりません。 「江島生島」事件も有名ですが、他にも七代目市川團十郎の江戸追放事件(幕府が質素を奨励しているのに豪奢で派手な生活をしていたため)などもありますし、浮世絵には役者絵が多いこと、色の名前に役者の名前がついたり(路孝茶、梅幸茶など)、役者にちなんだ柄(かまわぬ、よきこときく、など)が流行ったりしたことからも、歌舞伎が大変に人気があったことがうかがえます。 身分差別のなくなった現在では、授業などで「士農工商」以外は「非人(賤民)=士農工商以下」という風に教わりますが、江戸時代には「士=武士」が支配階級で一番偉く、あとは被支配階級なので実質的には上下の差はほとんどなかったという説もあります。 ただ、屠殺などの死に関わる職業は宗教観念上で「穢れ」とされたので差別はありましたが、役者=士農工商以下、という単純な図式ではなく、ある程度公認の身分があったようです。
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