解決済み
龍が如くのゲーム実況を見ていて思いましたが ヤクザ=義理人情 みたいな意味不明なイメージって、どこが出所なんですか?勝手に「シマ」とか言う縄張り決めて人様の職場に対してみかじめ料とか言う意味の分からない金銭要求したり、飲食店もウェットティッシュや割り箸などもヤクザから「買わされている」頃もあったんですよね? 暴力や脅しや嫌がらせで、人を立ち退かせたり、借金を取り立てたり(もっと言うなら拉致とか埋めたりとか)、これのどこが「義理人情」なんでしょうか? バブルの頃の東京などは特に、地上げ目的のヤクザが溢れかえっていたと聞きます。 昔は、縄張りだとかみかじめ(用心棒代)だとかにも「その組の庇護下に入る事で他のヤクザから守ってもらえる」意味があったとも聞きはしますが、んなもん「襲ってくる方」もヤクザじゃないですか 。組織は違えど悪どい人間同士、無関係な他人を巻き込んでおいて、その他人から金を搾るとか本当に意味不明です。 普通に働いて普通に生きてる人の方がよっぽど道理の通った生き方してますよね。 なぜヤクザ物の創作物って、ヤクザ主人公を「荒々しいけど硬派で筋が通った人物」みたいに描くんですか? ヤクザとして生きている以上「そういう事」を主人公もやってる筈じゃないですか?(龍が如くは一作目で主人公が足洗いますが) 昔祭りの屋台とか、芸能界などのエンタメにもヤクザは昔から絡んでいると聞きますが、それに関しては別に良いじゃないですか? なぜ人に仇をなすやり方じゃなくて、そう言う方面でヤクザ業界は発展しなかったのですか?
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「ヤクザ=義理人情みたいな意味不明なイメージって、どこが出所なんですか?」 東映ヤクザ映画の影響です。 現実では質問者様の言われている通り非人道的な組織です。 ただ、(ヤクザ系に限らず)人々の人生を物語にして、ちょっと都合の良い解釈を加えると感動的になることもあります。 (個人的には、家ついていっていいですか 的な番組も多少脚色してるだろうと思いますし、自分の人生でも山や谷を物語にすればお涙を誘えるシーンもあるだろうと思います) 実際に反社会的勢力に参加している人がどうか知りませんが、親が悪かったとか、そうしないと生きていけなかったとかそういう人も居たでしょうから、そういう話をモデルに映画を作って大衆に受ける話にするとそうなっていったんでしょう。 例えば、両親が交通事故で死んだ→子供一人で生きて行かないといけない→ヤクザの人に拾われて大切に育てられた→だから義理人情に厚い みたいな話が簡単に作れます。 実際には両親が交通事故で死んだ→子供一人で生きて行かないといけない→ヤクザの人に拾わた 程度の話を膨らませることが出来るってことです。 近い所だと時代劇も似たようなジャンルでしょうね。 実際は権力を振りかざして平民にやりたい放題していたんだと思いますが、平民を助けていますね。
ヤクザ=義理人情というイメージは、ヤクザ発祥の歴史と有名なヤクザ者の存在が大きく絡んでいるようですね。 (記事抜粋) 歴史上、ヤクザの源流と考えられるのは、室町時代から戦国末期に生まれたカブキ者である。カブキ者は、下剋上の時代に成り上がろうとした下級武士群のリーダーだった。彼らは数十人の足軽を率いて、雇い主の武将と契約交渉をしたり、集団内のトラブルの調整役を担ったりした。 https://www.news-postseven.com/archives/20160321_392160.html?DETAIL#:~:text=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%80%81%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81,%E5%BD%B9%E3%82%92%E6%8B%85%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82 集団内トラブルの調整という立場から発展し、その地域を ”陰” で支配・統制するという歴史の流れから、清水次郎長や新門辰五郎のように ”渡世の義理人情” を重視するようなヤクザ者・侠客が有名となり、ヤクザ=義理人情 というようなイメージが生まれたのだと思います。
なるほど:1
大昔はそうだったんよ。 かつては地域の揉め事を仲裁するのがヤクザの存在意義だったわけ。だから、港町など交易の盛んなところに輩がたくさんいたのです。 お祭りの屋台も地域の業者と地方を転々とする専門業者(テキ屋)との間で必ず揉めるからその調整役を務める団体が生まれたのです。
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