回答終了
今、官庁では若手官僚の退職が増えている。 せっかく国家公務員試験に合格したのに 数年でやめるなんてもったいない。 >普通にMARCH出身でも出世できますかね? 今後は、マーチでも出世できるでしょうね。 今、官庁で辞めてる人が多いから。
高等文官試験、国家公務員上級、一種、総合職と名前は変えたが、 中身は変わっていない。 ここまでは、合格者一覧表になるまで。ある意味ここで、各省庁の(幹部候補生)採用試験(ほとんど面接オンリー)を受ける資格を持つだけ。それも職種ごとの席次付き。 面接者の第一関門がOBまわりです。 ここで、A採用(局長・部長の目が残る)候補・B採用(課長止まり)候補の選別もして2次試験に回す、OBもいる(そういうお役目のOBがいた)。 当省での序列がX番(B)ですよ(他省庁の面接に回ったほうが良いですよ)。と言われて、第2志望の省に回った人がいた。同期生で序列上位が埋まるとこうなる。 100人程度が合格すればこその現象でしょ。 表向き、学閥は潰れた、緩くなったとは言われる。 私学で合格して省庁採用されても、間違いなく本省課長、都道府県出向なら30代部長、地方行政局部長までは硬い。 その先は、府県副知事あたりか関連機関のそれなりの副理事長。 ひとつまみの人は、地方行政局長になれる。
なるほど:1
昔の学閥と言っても戦前は文系事務官僚はほぼ東京帝國大學法学部か経済学部か京都帝國大學法学部か経済学部か稀に東北帝國大學法文学部や九州帝國大學法文学部が混じる程度でした。 それ以外は中大法科や早稲田の法科や政経科や明治大法科や法政大法科や日大の法科の昼間部や夜間部から高等文官試験の行政科に受かる人間が隔年である程度でした。 東京商大(一橋)や慶大は高等文官試験の行政科にはあまり実績はなく寧ろ外国語と経済学と国際法と外交史の試験を重視していた外交官・領事官試験の方に実績がありました。 1945年の9月、東京湾の米国戦艦ミズーリ号上での大日本帝國のポツダム宣言受諾による無条件降伏文書調印式で重光葵外相や梅津美治郎陸軍参謀総長の斜め後ろで書類を携行してシルクハットを被り立つ壮年の外交官は東京商大中退の加瀬俊一氏です。 加瀬俊一氏は東京商大本科三年時で外交官領事官試験(高等文官試験外交科)にトップクラスで合格しており翌年、東京商大を中退して外務省に入省します。 昭和46年(1971年)の東京都知事選挙に出て美濃部亮吉に惨敗した秦野章さんは日大法科の夜間専門部から高等文官行政科に受かり私大で初の警視総監になった人物です。 昔の高等文官試験の行政科や司法科や外交官・領事官試験に受かれば大学の学閥はあまり関係無かった様です。寧ろ旧制高等学校毎の学閥や人脈が大きかったという人もいます。 東大法学部の牙城と言われてきた財務省(大蔵省)でも数年前には一橋大学経済学部(旧東京商大時代も含めて)出の事務次官が財務省(大蔵省)開闢(かいびゃく)以来初めて出ました。文藝春秋誌上で財政再建論議を巻き起こす論文を投稿したK・Y氏です。 時代は変わりつつあるのかも知れません。
なるほど:2
ありがとう:2
自分は当事者でないのでよくわかりませんが、学閥はあるということです。MARCHは課長どまり、とくに財務省は東大法学部でないと、事務次官にはなれないということです。
なるほど:1
< 質問に関する求人 >
官僚(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る