回答終了
自分はクリエイターなのですが、多くの人から見るとクリエイターは変人に見えるそうです。ものを創れるというのが、なぜできるのかがわからない人がいるそうですが、逆に自分からしてみたら、なぜできないのかわかりません。普通に論理的に組み立てていけば誰でもできるはずです。実際中学生でも試験受けにきます。そこで聞きたいのですが物作りができない方は一体どこで挫折されたのでしょうか?どの段階で辞めていきましたか?
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出来ない人は、最初からやる気がない、或いは面倒くさいからだったりするのでしょう。 私もクリエイターですが、誰かと一緒にやろうとしても、最初から諦めてる人がほとんどでした。
クリエイターにもいろいろあると思います。ゼロからイチを生み出すような発明家や芸術家もいれば、既存のモノを新しい発想で組み合わせて価値を提供する人、既存のフレームワークに則って改善とか便利にしてく人、など。 程度の差こそあれ、共通するひとつの特徴はクリエイティビティへのモチベーションの高さ(興味の強さ)だと思います。例えばMinecraftにずっと没頭してしまう程楽しさを感じる子どももいれば、何をすればいいのか何が面白いのかさっぱりわからない子どももいます。 この例だと前者はクリエイター向き、ということになると思います。作る側と使う側、多くの人のライフスタイルや志向は後者に属するのではと思います。
なるほど:1
>なぜできないのかわかりません >普通に論理的に組み立てていけば誰でもできる これは変人ですね、私もクリエイター側ですが、クリエイターから見ても十分変人だと思います 「(非クリエイターへの)想像力・共感力がない」という意味で、ですね そしてその理由が「一度もモノづくりで困った、挫折しそうになったことがない」という方向性なのであれば、クリエイターの中でもかなり異端の天才と呼べるでしょう、もちろん凄いことであり尊敬と畏怖の念を抱きます、正直恐ろしいです さて、私からすると逆に「論理的に考えれば『ものづくりができない』理由は誰にでもわかる」と考えています なぜなら自身がクリエイターであっても「この世のすべてのモノを作りたい」あるいは「この世のすべての分野にチャレンジしたい」という意欲を持ち続けることはできないはずだからです 法学を学べば社会で生きる上で、あるいは表現者を仕事にする上で一つの武器になりますが、法学を十分に収めることに何の抵抗もないでしょうか? 経営学、マーケティング、デザイン、文学、コミュニケーション、心理学、「関連分野」と呼べるものは多種多様にありますが、それらすべてに意欲的に取り組めるでしょうか また、建築・音楽・小説・ファインアート・古典・工作・高度に理化学、工学的な手法での創作(及び付随する高度理系的知識)、などなど 一口にクリエイターと言っても、「取り組んでいない創作」はあり、また関心を抱くことが難しいものがあるのも自然なことかと思います ですので、ただ単純にその「自分がやりたいとは思わない創作分野に対する感覚」が、そのまま「創作ができない人」の感覚でもあります 少しは興味があるけど本格的にやり続けられるほどではないとか、まったく関心がないとか、やってはみたが技術習得難度が困難だった、などもちろんあらゆる段階に挫折はあるでしょう 私の分野は小説でしたが、クリエイター=変人ではないと思います 実際に商業で共にデビューした方にもごく一般的な社会常識を備えていたり、社会人として働いていた中でデビューした方も多くおられます 「クリエイターの中には、変人であっても才能と技術でねじ伏せてご飯を食べていくことができる人もいる」というだけの話ではないかなと 変人であることが許されるだけの能力があるかどうか、がすべてだと思います もちろん、才能があっても「変人でない」生き方を選んだり、自然にそうである方も大勢おられますね
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