『案内をくれる主催者は義理で行く人の時間やその他の負担はどう思っているのか。個展や発表会は義理で行くのが大人ですか。』 主催者がいちいち義理で来たか、とか、その他の負担をどう考えているか、なんて考えているわけないじゃないですか。 そもそも、なんで自分が義理で来てやっている。。。なんて偉そうに言われないといけないのでしょうか。 こういう考え方でいくと、結婚式や葬儀なんかも全てが全て義理で行っているんだろうな、と思います。 他人の結婚式に心から祝福してあげたい、なんて本気で思っている人なんて絶対にいないでしょ。 他人の葬儀だって同じことでしょ。 教会で自分には関係ない牧師の話を聞かされ、新郎新婦のつまらない昔話や嘘八百の褒め言葉ばかり聞かされて、おいしくのない料理を食べて、それなのに安くもない祝儀を払わされる。。。。義理以外の気持ちで本当に行きますか。 坊主の何をいっているかわからないお経を聞かされ、他人の家族の泣くところを延々見せられて何が楽しくて葬儀に出ますか。 おまけにこれも香典や香料を払わされる。。。。これを義理と言わずになんというのでしょう。 結婚式や葬儀の案内を出す人、主催者で参列、参加する人が全員義理で来ていて、その人の時間や負担を考えている人など、この世にいるでしょうか。 誰一人いないでしょうし。。。 そもそも、義理でいくことを、ぐちぐち言う人も少ないと思います。 義理でいく、というのは自分の意思です自分の意思で行くと決めていった以上はその招待してくれた人の気持ちに沿う方がよいと思います。 義理でいく人は、その人のために、というよりも実際が自分のために行く、というのが本音だと思います。 自分が招待してくれた人から、義理堅い人だ、いい人だ、と認めてもらいたい事故承認欲求の表れに過ぎません。 貴方の展示会、結婚式、葬儀にわざわざ来た私って、貴方思いの優しい人よ、ってアピールに過ぎません。 自分可愛さのアピールです。 だからこそ、『義理』なのです。 自分のために義理を立てているに過ぎません。 それが、義理であり、大人だということです。 いまの時代、会社の懇親会、飲み会、結婚式、葬儀。。。そういうものには参加しなくて良い。。そういう時代だ。。という人が多くいます。 そういう人は昔からの大人の付き合いを否定しているに過ぎません。 そういう人を世間では義理人情がない人。。。といいます。つまりが人間として欠落したものがあるということでしょう。 ただそういう風潮を賛美する傾向にあるのは否めません。 まだ貴方様は、時間の無駄と思いつつも義理を果たされた。。。。 義理など不要という結果的には自己否定している人とは違う貴方様はそれはそれで大人だと思います。
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自分も絵の展示をしたり観に行くことも多いですが、大量に案内状を送ります。来なくても返事をしない人がほとんどですし、私も返事は基本しません。展示慣れしてない人かもしれないですね。
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