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月収について教えて下さい。 戦前の時刻表を見てると、東京から北京まで30円とか書いてあります。 昭和19年なので、1944年です。令和4年、日本人の月給の中間値は約27万円だそうですが、1944年は月収どのくらいだったのでしょうか? 初任給や、うどん1杯が●●円とまでは出てくるのですが、実際に近い中間値の月収を知りたいです。 今でも初任給を貰う22歳と60歳では違うだろうし、うどんだって立ち食いのうどんと、ちゃんとしたうどん屋さんでは違うだろうし。 ちなみに私が色々資料を見たとこと、1944年は概ね、月に104円と出ました。 お詳しい方、教えて下さい。
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>「会社」で働くという事すら始まって間もない時代ですものね。 >昨日までちょんまげだったのが、いきなり横浜でコーヒーにカレーライス。 19世紀の明治初期と20世紀半ばで僅か80年前の昭和10年代を混同していますね。 当たり前ですが、とっくに会社勤めもサラリーマンも(今でいう)OLも存在しており、大正期には郊外の一戸建てを月賦で購入し、電車にのって通勤し、日曜日には家族でデパートや観劇に出かけるという、現在とまったく同じ生活スタイルが確立されています。 またサラリーマン、公務員といっても今と同じで大卒の高給取りから、中級官吏・会社員もいれば、薄給の代名詞である下級官吏・勤め人もいます。 そして給与格差は現在よりも激しく、たとえば高卒の警察官と大卒の新人サラリーマンの給与差は数万円ですが、当時は2倍前後ありました。 なので、1200円年収のサラリーマンは高給取りですので、これを基準にすると間違いますよ。 たとえば昭和16年前後の大卒の銀行員やキャリア官僚の初任給は70円程度ですが、巡邏警官は45円、教員は50〜60円ってところです。
昭和12年の庶民の年収が460円。サラリーマンは1200円です。この当時のサラリーマンは高等教育を受けて銀行や商社の社員(今で言うと本社のエリート)になるか、高等官僚になるか.士官になるかです。 戦時中の年収資料は分かりませんが、昭和12年の年収平均は今の国民年収平均420万円に近い様に思います。 物価換算だと昭和19年の一円は4000円ほどですがおそらく年収換算だと1万2000円くらいです。 ですから東京北京の30円は今の36万円相当かと思います。
1944年(昭和19年)は終戦近くなので、大変な時期ですね。 下のサイトに当時の月給や物価がまとめられています。 https://coin-walk.site/J077c.htm#SS1 あなたの調べられたのと同じ出典かもしれませんが、男子の月給104円となっています。全国の労働者の総平均と書かれていますから、かなり信頼のある数字だと思います。 その他のお米、砂糖、たまごなどの値段も現在と比較すると、当時の1円の価値がよくわかります。
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