解決済み
なぜ日本のベンチャー企業はアメリカと違って「創業社長の個人商店・個人崇拝の囲いサークル」ばかりなんですか?ぼくはアメリカに住んでいました。アメリカでは個性と実力がすべてですが、特にベンチャーと呼ばれる企業は従業員みんなが熱意の塊です。つまりアベンチャーズみたいなイメージです。一人一人が別の能力を持っていて、それを1つ1つのプロジェクト、1つの企業のミッションのために力を結集する印象です。 が、なぜ日本のベンチャー企業は違うのでしょうか。 ぼくはアメリカに住む前にベンチャー企業で働きました。スタートアップです。 ガワだけみれば「意識高い系」でアメリカの西海岸のテック業界みたいで、コンクリートうちっぱなしのフロアにソファがあって寝そべってアロハシャツを着たSEがコードを書いていたり、ヨギボーでリラックスしながらミーティングするようなイメージです。 ですが、実際には顔が見えるのは創業者でもある社長だけです。ようは社長と言う個人が突出した能力があり、会社を立ち上げるだけでなく「こうしたい、ああしたい」と言う意思があり、それに対し社員はみんな礼賛というか、下働きをするだけなのです。ようは「社長とその囲い集団」なわけです。で、ぼくがいたベンチャー企業の場合、社長は自分のアイデアややり方と矛盾する人材を疎み、とくに自分以上に能力の高い人間はクビにしました。それでも人材は集まってきて、それは社長の講演会・著書・ネット等での持論発信を見聞きし、感銘を受けた人ばかりで、純度の高い囲いだらけで、まるで新興宗教みたいでした。このまま企業が成長し、大企業になっても北朝鮮みたいなプチ独裁国家になるだけだと思って私は辞めました。 が、日本の多くの企業は実際「創業社長と囲い集団」ですよね。なぜなんでしょうか。 例がホリエモン事件です。いわゆるホリエモンが立ち上げたライブドアはヒルズ族の典型でした。しかし、ホリエモンが逮捕され失脚されたら、あれよあれよとライブドアの存在は空気になり、最終的には会社はなくなってしまい、ライブドアの5文字は韓国IT企業日本支社のポータルサイトの屋号に落ち着きました。つまり、創業者の社長ただ一人にあらゆる影響が集中するので、逮捕されたり、死んだり、何らかの問題で失脚して会社を離れざるを得なくなると、会社そのものが傾くのです。 海外は違うと思います。 たとえばアップルはウォズニアックという相棒がいました。だからスティーブ・ジョブズが死んでもiPhoneは死んでないです。そしてスティーブ・ジョブズはあまりにも「切れ者」すぎて恨みを買い、会社をいっとき追放されていたこともあります。特定個人に権限が集中しすぎないことで、アップルという企業は今まで世界のITの先端を走りぬいていると思います。 Googleにしてもラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏がいます。共同経営者です。たった一人ではないのです。 日本でIT関係・ビジネス関係の有名論客を見ていますと、元Google日本トップとか、GAFAの日本支社の社長や幹部だった人、あるいはその立場で本社のCEOとも顔見知りみたいな人が多いです。それは外資企業がすべての人の個性と能力を集める集合知型だからだと思います。が、日本ではベンチャー企業の社長以外の社員が「黒子」にしか見えないのです。 それはリスクでもあると思います。 日本ではたまに、学生起業とかも含めて、ベンチャー企業の社長が「炎上」して組織そのものが燃えることもあります。創業者個人が企業そのものなので、海外なら個人にとどまるレベルの批判でさえも会社が一体的に炎上し、人生や生活が懸かっている従業員や取引先にまで影響が出るのです。で、そういうベンチャーは社長が炎上の責任を取り辞任し、代わりに役員とかサポート役の人が次期社長になるのですが、するとライブドアみたいに空気になります。結局彼らは「黒子」だからです。 最後にぼくの自己紹介ですが ぼくは子どもの頃不登校だったりして日本型のレールの人生にしくじりました。かろうじて軌道修正して大学は出たんですが新卒一括採用しようとしたらリーマンショックと震災で働き口がむちゃくちゃなかったんで色々フラフラしてるうちにベンチャーで拾われていっときそこを居場所にして食いつないで、後でアメリカに出たんですが、ビザの問題や語学の問題を抜きに実力では評価されるのは海外だと思います。日本のベンチャーってスティーブ・ジョブズかぶれが多いですけど、実力は「社長のラジコン」になっているうちにはそれなりに活かせるでしょうが、最大限に自分のやりたいことに自分の能力は発揮できない。無能でも社長に気に入られれば居場所にできるというだけです。が本当にベンチャーで美味しい思いをしているのは社長のオナ中で縁故で採用された人でしょう。
結局日本のベンチャー企業って「令和の鹿鳴館」みたいなもんだと思いました。だからあのような雰囲気を味わいたいなら、アメリカ留学でもしてみたほうがいいです。もっというと、というか言っちゃあれですが、アップルストアの従業員やってた方がよほどアメリカっぽいと思います。 ぼくはアメリカがすべて正しいとは思わないのですけども、日本のベンチャー企業って自由のふりをしながら均質性が高い(たとえばあの環境でいわゆるFラン出身の低学歴はぼく一人だけでした。たまたま彼らの「センス」に自分が受けいられれることができたのが居場所を貰った理由だった)ので、アメリカのドラマに出て来るような奇人変人や異端者がチームを組んでいるようなイメージとは遠いかなと思います。履歴書に写真貼りますし、新卒を入れたときは入社式だってやりますし、正月の仕事始めには女子社員が着物着て写真撮ったりもします。そういうの嫌いなんでベンチャーで「たむろ」した自分は、日本そのものがないなと想いアメリカに出ました。
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長いので拾い読みですが… #自伝書くわけじゃないのですからもうちょっと論点を整理して書かれたほうがよろしいかと 一言で言えば文化の違いでしょう。 日本は封建的・全体主義的なところが残ったままですからね。 もともと、農耕主体の社会で「横のつながり」が強く個性はむしろ害とみなされるような社会だったわけで(村八分みたいな言葉があるとおりね)欧州と違ってそこから市民革命とかが起きたわけでもなく、お上主導で近代化→戦争→民主化と進んだだけですからね。 基本は優秀なリーダーとそれを補佐し実行するメンバーという構造から変わっていないと言うだけですよ。 学校教育もそ言う方向性ですしね。 ただ、例えばドンキなんかは社員にかなり大きな権限を与えて、うまく実績を出せばどんどん昇格させるみたいなやり方だそうですので、日本にもアメリカ的な会社が無いことはないですけどね。 それに、アメリカのベンチャーも結局は強力なリーダーが独善的に引っ張ったからこそ成功したと言えるとは思いますけどね。 例に挙げられているAppleも、結局ジョブズ放逐時代は業績急降下したわけですし、マイクロソフトもビル・ゲイツがいてこそここまで来たのでしょうし、Facebook(meta)もテスラ/スペースXもそうでしょう。 まあ、アメリカの場合は、創業者=ビジネスマンで、片腕として技術者が~というケースもあるとは思いますけど、そういう役割分担なら日本のベンチャーも同じようなパターンは普通にあるでしょうし。 そこまで大きく違うとは思いませんけどね。
なるほど:1
日本の企業や、社会を侮辱している質問とみなし、通報させていただきます。
あなたが言うところのアメリカのベンチャー企業の定義というのは、実際に成功した一握りに過ぎません。 失敗したベンチャーを見れば、日本と同じ構図になっているでしょう。 アップルにしても、ジョブズが追放された後は彼が残したMacのレガシーを食い潰していき、画期的な製品を出せずに倒産寸前に追い込まれました。 その際にジョブズを復帰させることで、iMac、iPod、iPhoneと次々に新しい製品を出して復活しました。 ジョブズが亡くなった後も、結局画期的な製品はほとんど出ず、彼のレガシーを食い潰しながらスイスの高級腕時計メーカーのように高級品化して、庶民の手の届かない物になっています。 そういう意味で、アップルはジョブズというトップがいてナンボの企業だと言っても過言ではないです。 そんなにアメリカがいいなら、アメリカに行って成功するまで死ぬ気で頑張ってください。これ以上日本に関わる必要はありません。
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