回答終了
相手の立場に立って考えるという事についてなのですが、自分が嫌なら相手も嫌でしょう?みたいな教育ですよね? 私にとって、人から仕事中に話しかけられることを好みません。仕事中は黙々とこなしていきたいんです。 その合間の雑談はOKとは思うんです。 ですが、職場内に淡々と仕事をこなすことはつまらないから楽しく仕事はするものだという50歳の女性がいて、常に口が動いて喋ってるんですね。 その人にとったら黙々と仕事をすることが嫌なのでしょう。 だから「自分が嫌なこと」=「相手も嫌なこと」と解釈され、黙って仕事をすることをやらないでおく人なのでしょう。 相手の立場に立ったところで、結局は自分がやりたいようにすることと何ら変わらない結論に至るのはどうしてでしょうか。
1,133閲覧
1人がこの質問に共感しました
「相手の立場に立って考える」は、 >自分が嫌なら相手も嫌でしょう? とは違います。 もちろん、自分が嫌なことを相手にしないは正しいと思いますが、別のことです。 例えば、自分が男性で相手が女性なら、自分とは違う考え方や感覚があるはずで、自分と同じようには考えられません。 自分が普通に持てるカバンでも、女性なら重くて辛いかもしれない。 自分が快適だと思っていても、女性なら寒いのかもしれない。 自分は歩くのが好きだが、女性は疲れているのかもしれない。 こういうことを言っているのです。 また相手が外国人だとすると、特に欧米の人はご飯の香りが苦手なことが多いです。 日本人ならご飯の香りが嫌いなことはまずないのに、炊きたての香りがふわっと来ると顔をしかめる外国人は多いのです。 そういう知識があると、外国人にご飯を出すときに香りのことを気にするようになります。 そこまで想像力と知識を駆使して、相手のことを考えなさい、そういう意味ですよ。 お書きになった件なら、質問者さんと50の女性は考え方が違っていて、質問者さんはそれを理解しています。 それだけでもとてもいいことだと思います。 問題はその先で、自分は嫌だけど多少は相手に合わせてあげる、それが「相手の立場に立って考える」です。 それが嫌なら、自分の考えをきちんと話してわかってもらうことです。 黙っていても相手には永遠に伝わりませんからね。 分かりづらい長文で失礼しました。 参考になれば嬉しいです。
1人が参考になると回答しました
わかります。 私も仕事は黙って集中したい。 ムダ口は一切いらない。 それを無愛想、コミュニケーションがないという人がいる。 結局は人は各々の価値観で生きているという事ですね。
< 質問に関する求人 >
教育(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る