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電話の交換業務っていつまで有ったのですか?私の80代の母は若い頃、電電公社で電話の交換手をやっていました。よく、「私は高卒やけど、大手のエヌテーテーの社員やったんやでね!」と自慢していたものでした。 私は少し遅く生まれ今40なのですが 小学校の時にその話をしたら、皆ポカンとして、ある子は「あ、電話を新しいのと交換する仕事ね!うちにも来たよ!」と言う始末。 母から聞いた交換業務を説明したら、どうもジョークだと思われたらしくみんなから大爆笑されました。電話をしたら違う人が出て、その人にどこに電話したいか伝えると、その人が代わりに電話をしてくれて繋いでくれる。 子供には冗談にしか聞こえなかったらしく。「だったら最初からその人じゃなくて相手に電話すればいいじゃん!」と大笑いされました。そもそも電話にダイヤルがないことすら全く想像できなかったようです。当時の若い先生に助け舟を求めても「先生初めて聞いたなぁ」と知らない様子でした。 三十年前ですら冗談にしか思われないんですから今は尚更でしょう。案外今の方が歴史などの学習で知っているかもしれませんが。 しかし、これだけ大掛かりな切り替えですが。ちょこっとずつ変えていけるようなものではありませんよね。やるなら全国ほぼ同時にやらないといけないようなきがしますし、線だけでなく、電話機も全国変えなきゃいけないですし、大変なことですよね。 日本だけでなく、世界中が経験しているはずですが、どんな風に変えたのでしょうか?
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>いつまで有ったのですか? 電電公社の5か年事業計画をみると、電話のダイヤル化が1955年頃から始まり、全国の自動化まで約15年をかけています。 京都育ち私の記憶でも物頃着いた時には電話機にダイヤルはなく58年頃に番号ダイヤルになりましたが、市内電話しか掛けられません。市外に電話をかける時は、交換手を呼びだして、相手の地名と番号をいって、つないでもらう。 この時、値段によって優先順位があって、すぐに繋いでもらえる「特急扱い」だと目の玉が飛び出るほど高い料金になり、ついで急行扱い、だいぶ待たされる普通、とあったような気がします。 (公衆電話機があっても10円が一個しかはいらず、市内しかつながりませんが、3分間という制限はありません) 和歌山の田舎の家に出かけると、1960年頃でも電話機にダイヤルはなく、ハンドルを回して局の電話交換嬢を呼び出し、番号を告げてつないでもらってました。 この頃の交換手の怖かったこと・・・ 全国の電話がダイヤル即時通話化したのは、1968年頃だったかと。公衆電話 で市外の人と連絡する時は10円玉が多数、必要でした。 >線だけでなく、電話機も全国変えなきゃいけない 線は同じで、電話局内で広い部屋に交換機を設置し、レシーバーを被った人がプラグと線を繋いでまわっていたのです、通話が終われば、手動で線を離すのです。 受話器と線は漸次置き換えて、一つの電話局のエリアごとに交換機を自動リレー式に備えつけていったと思います。 この自動交換機が 日本の電子計算機の草分けになります。 大きな大きなスペースと電力を要求する電子計算機(米国や欧州製)が銀行や電力会社、官庁に設置されていったのも同じ時期です。
なるほど:1
変更は 都市部が先にやっていたようです 全国で 交換手がいるとことダイヤルが 共存していた時期がありました 田舎の方では 昭和50年ぐらいまで あったような気がします。
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