役に立つからです 数学を勉強する理由はただ一つです。数学と書きながら問題点にたどり着き論理的に考える練習、論理的思考のトレーニングをやってるんです。数学で鍛えるのは計算力よりも問題解決能力なんです。方程式を使ってる大人がいないから無駄というわけじゃないんです。この小難しいことを何故やってるのかっていうのをちゃんと説明してくれる大人に出会わなかったんです。何か問題が出たときに戦略から紐付いて考えていくことができるようにトレーニングをするのが数学です。頭を鍛えておく時期に鍛えておくことが人生の視野を大きく変え社会に出たときに役に立ちます。 世の中は自分の力でどうしようもないことと、自分の力でどうにかしなくちゃいけないこととは大きく分けると二つしかありません。「要領が良くない」って思う方を客観的に見ると自分じゃどうしようもないところに一生懸命取り組んだりしています。多くの場合それって一人の力じゃどうしようもない事だったりします。どうしようもないことに努力と悩みで人生の時間とエネルギーを無駄したりします。そうすると疲労で自分でコントロールできるところに時間の集中ができなくなり、結果が出ず要領が良くないになります。 此処の見極めは実は数学で練習しているんです。どこに自分の時間と労力を集中すべきなのか、これこそ論理的に紐解いていくのが数学的アプローチです。 これから始まる第4次産業革命の世界では、〇〇が出来ない、〇〇が苦手、となった時に、どこで躓いているのか、どういった知識が足りないのか、を明確化して学んでいけるスキルが必要です。逆に苦手意識のある部分に対して放置するタイプだとほぼ人生詰みます。さらに悪い事に今後の日本では通年採用に同一労働同一賃金すら予定されています。ますます時間という経験ではなく効率の良い努力に裏打ちされたお金を生み出すポテンシャルが必須になります。 このスキルやポテンシャルを持つ人を一般的には論理的思考ができるって呼びます。そして私の周りを見ても論理的思考ができる人の方がやりたいことが叶っているように見えます。 世の中についていくためにも数学を勉強しましょう。
なるほど:3
数学に限らず、学問は、役に立つかどうかで学ぶものではなく、役に立つかもしれないから学ぶものです。 例えば、仕事で、漢文などの古典や古代ローマの歴史や安土桃山文化の説明が必要になった人がどれくらいるのでしょうか? 知らなかったが故に、知っている人とのコミュニケーションの機会を失うこともあります。それが教養と言うものです。 「数学は社会に出ても役に立たない」と言う人は、数学を自分の役に立てることができなかった、若しくは、役に立つ方法を考えようとしない人です。 「教養は必要と言う人」と「教養は不要と言う人」、どちらの方が社会に貢献するかを考えれば、「数学は社会に出ても役に立たない」と発言すること自体が、自らの社会的価値を下げていることがわかるかと思います。
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