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人間関係は自分で解決するものだと思います。でも今の人は学校、会社など他人に解決を求めます。 中には、合わないから、嫌いだから配置転換等を要望する方までいます。 そして本当に配慮をしなければならない時代となってしまいました。 本来、人間関係の問題は、個人で解消を図っていくことではないでしょうか? では、なぜこんな時代になってしまったのか。 私は教育が社会を変えたと考えています。 学校では、配慮と打って相性が悪い児童生徒を違う学級に編成したり、グループを変えたり、席を遠ざけたりします。 子供と保護者の人間関係の要望があれば、できる限り叶えようとします。 これは、配慮と言うより甘えではないでしょうか? 自分で人間関係を調節する力が身につかなくなってしまった。 嫌なら周りに助けてもらおうと考える人が増えた。 結果、社会でもそういった希望が当然のように通ると思っている方が、職場にも学校時代と同じ要望を出す。 利潤を第一に考えるはずだった企業が別の問題に直面する事態になっています。 学校の対応はよくも悪くも社会を変えてしまう力があると思うのですが、いかがでしょうか?
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人間関係自体、一対一とは限りませんからね 配置転換は「安全配慮義務」ですよ 法律ですから守ってください
>人間関係は自分で解決するものだと思います。 この前提が、正しいかどうかを考えてみましょう。 過去の日本社会を見るにつけ 自分で解決するあるいは「解決できた」例は 少ないように思われます。 例えば、落語の世界の住人は もめ事が起きれば、大家さんやご隠居を頼ります。 地域のもめ事は その地域に古くから住む世話好きの人が 調停していることもしばしばでした。 つまり 昔から、人間関係のトラブルは 「第三者が必要である」と 考えた方が良いように思われます そして あなたの前提が間違っている場合 それより下の行にお書きのことは 全く意味が無いことになります どうぞ熟考なさいますよう。
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