解決済み
私は幼少期から祖母の影響で茶道を習得して来ました。社会人として中断した時期もありましたが、50後半になってようやく小さな流派の一番下の師範まで来ました。 私の師匠は決め事をされない方で、何と月の稽古回数や稽古料について一切、決め事をされないのです。 理由は師匠御自身が、そういう環境で習って来たからなのだそうです。目安を伺うと体験料金を参考にされる方が多いとの答え。体験料金というのは入門前の方が参加される時のもので、一回が5千円です。×月の稽古回数ですね。私はまだまだ弟子を取るつもりはありませんが、師匠と同じ方針を取りたくありません。お気持ちで、というのは僧侶がよく使う言葉ですが、そこに目安があるのが可笑しいですし、試験料などはしっかり決まっているのです。手土産や御中元お歳暮などの付け届けについても何も仰いません。 最近の若い人の茶道離れの一因は、堅苦しいといった理由以上に、こうした曖昧さを嫌う風潮があるように思われます。 同門の仲間もこれには少々悩むようです。茶道自体が、答えがあって答えがないような部分があり、馴染みにくいと思われても仕方ないと思う時がありますが、何かご意見が御座いましたらご教示下さい。
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私の社中も明確に決まっています。 確かに、曖昧ですと面倒ですし、人によって金額差などが出ても困りものですね。 察する事はとても重要ですが、経験豊富でないと中々難しいですね。 有る程度「見える化」して行く事も大切なのかもしれませんね。
学校教育での生徒の支払いは「授業料」です。茶道教室では「月謝」です。 授業料は社会経済と同じで、原価計算で決まります。公立学校では生徒が本来支払うべき原価の大きな部分、例えば学校建設は住人の税金から出して建設されますし、生徒が負担すれば授業料は大金になります。なお私学では公立より高額ですが、それでも国から大きな支援金を受けています。 茶道教室も、一例ですが、先生の家の茶室、水屋、道具の保管場所の建築費、維持管理費は大金で、自治体は一円も補助してくれません。しかもその分を生徒は負担せず、無償で使っています。また先生が正式な茶会をするのは生徒の育成の大きな本来の茶道実践教場になりますが、3000円の数茶碗では茶会には役不足、1つ5万円、10万円の道具を沢山使って茶会にしますが、多くの先生はその購入費用は自己負担です。 そこで江戸時代からですが、「月謝」が納めるようになりますが、これは『毎月の感謝のお礼』です。裕福な生徒は師匠の自腹負担を補填してあげようと標準より多く差し上げています。月謝のことは一名『芹献(きんけん)』と呼んでいました。これは貧しい食べるのがやっとの家庭の生徒でも茶道教室に入ることができ、家から先生の教室に行くまでの道々で路傍の「芹(せり)」を摘んで、せめてもの心を示して先生に差し上げたのです。 自分で社会で働いている生徒は多額の月謝、まだ学生で自宅の親から費用を貰ってきている生徒は少額で…そういう茶道教授への思いやりが、『金額を特定しない月謝』=『毎月の感謝のお礼のお金』です。日本中の茶道教授は(経済豊かな生徒を教えている)家元近傍の先生を除き、巨額な自己負担でお茶を教えているのです。真の『経済』を理解し、せめてもの心からの感謝と、原価に見合うお金が出せない生徒は、無償で先生おお手伝いをするなど、感謝をしなければなりません。
確かに「気持ちで」というのは何かとやりづらいですよね。「付け届け」は全くしなくてもいいものなのでしょうか。 とにかく月謝だけはしっかり決めて、付け届けは全くなしとでもしてほしいと思います。 話は別ですが、私もあるサークル活動の一員として、希望者に対するオプション的に○○サービスをしていて、その手数料をしっかり決めています。もちろんそのサービスを希望しない人には何も頂いていません。最初の頃はそれで儲けようという気などなかったので料金を明確に決めずに「気持ち」にしていたのですが、どうも気まずい問題が起こったのでしっかり料金を決めてからはスムーズに運んでいます。それ以来、このようなことはきっちり決めるべきなのだと信じています。
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