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バブルの頃、都市銀行が花形就職先であった理由を教えて下さい。バブルの写真でも、銀行より総合商社やデベロッパーの方が給料は高かったですよね? 当時の都市銀行は東大一橋早慶からしか入れないようなエリートコースだったようですが、 そのエリート同期の中からふるいにかけられ、5/500名程度しか出世できなかったはずです。 (半沢直樹なんかも、あれは同期入社の中でダントツのトップですよね。大半は50歳手前で支店の総務課長→出向という人事のはずです。) 一方、総合商社やデベロッパーは銀行より門戸が狭いですが、その分同期みんなが部長クラスまでは一律に出世し、基本給も銀行より断然高いです。 例えば現在、メガバンクの同期入社300人のうち、3人が40歳で年収1500万行くとしたら 総合商社では同期入社150人のうち9割が35歳で1500万に行きます。 にも関わらず、昔の東大一橋卒のようなエリートは都市銀行に行ったのでしょう? 「それくらい銀行が人気だった」は理由になりません。 なぜ銀行がそこまで人気を博すのか、教えて頂ければと思います。
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バブルちょっと前の都市銀行入行組です。 私の場合は総合商社・新聞社・銀行で悩みましたが消去法で銀行にしました。 難しい契約をまとめるとかスクープを取るとか、そういう大胆な事をやるのは性格的に難しいと自己分析をしたからです。 ただ大学は色々でしたね。取引先からみのコネもありますから。 今でも残ってますが、私は東大から入ったので最初から中央官庁のキャリア組のような扱いで最初の配属先から違っていました。そういうキャリア組待遇は東大の他には京大と一橋だけでしたね。メガバンクになってからは石を投げれば早慶に当たるという感じで、銀行内で早慶出はその他大勢の1人です。 それに銀行では出世が早かったこともあり、商社に行った同級生と収入は変わらなかったと思います。
選抜にのれば役所みたいなキャリアノンキャリアがハッキリして出世が楽だし、とにかくボーナスが凄かった、夏に200冬250とか。こういうシステムが嫌なら信託へ行ったんです。商社は体力勝負で首から上の仕事、下の仕事とか。 今は無き、日本興業銀行がエリートでしたね、興長銀と東京銀行。
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