教えて!しごとの先生
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大学生です。私は将来、ファッションデザイナーになりたいと考えています。

大学生です。私は将来、ファッションデザイナーになりたいと考えています。きっかけは山本耀司さん、川久保玲さんが同じ大学の卒業生だと知ったことが大きかったです。 もともとファッションデザイナーになりたいという思いがあっても本当になれるのだろうかという思いがありました。この2人の存在は、私の背中を押してくれました。 質問したいことは、大学在学中に勉強しておくべきこと、就職活動でどのような会社に就職すべきだと思うか、です。 私自身、これからの時代のファッションデザイナーには、服を作って売るというところまでのトータルデザインをする能力が必要だと考えているので、大学ではマーケティングなどを含め様々なことを学ぼうと考えています。 また、将来は自らのブランドを立ち上げ、世界的なデザイナーになりたいと考えています。 回答よろしくお願いします

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    そこまで考えているのなら、第一に語学力。フランス語と英語は必須だな。出来ないと論外。それと、何でも良いので、服飾系企業に就職すること。意外に思うかもしれないが、会社員経験がない人は起業すら出来ない。しても無名で終わる。そこで、業界の事をまず知ること。スタリストから始めても良い。とにかく20代には、なにかしら企業に属して業界を学ぶほうが良い。 例えば川久保玲は、旭化成の社員だったしね。宣伝部にいたらしい。その後はフリーのスタイリストだ。彼女はデザイン科を出ていないしね。つまりコーディネートはスタイリスト時代に学んだと思うよ。 デザイナーは既製服、つまりプレタポルテこそ最重要。コスト、デザイン、合理性を追求する。これが生産性に直結する。当然マネジメントも必要。経営も知っていなくてはならない。 次に出来るだけ早く独立して会社を興すこと。この時、資金調達も学ぶ必要がある。銀行借入れ以外に様々な方法がある。それと断言するが、マーケティングは意味がないので辞めること。川久保玲、山本耀司の初期の作品を知ってるが、当時の流行やマーケティングは完全に無視している。そういう時代じゃない。彼等はマーケットを作る側だ。 川久保玲の最初期の作品は、京都でワコール主催の展覧会で直接見たことがあるよ。当時からファッションに関心があったので、新幹線で日帰りで見に行ったほどだ。その作品は、型紙を切り裂いて作ったドレスとか、ガーゼを切ってつくったカクテルドレスでしてね。『ボロボロスタイル』とか、『乞食スタイル』とか言われていたが、これでモード界で衝撃的デビューを飾った。アヴァンギャルドをモードにもたらした人でもあるしね。これ以降、モードはアーティスティックになったと思うし。 山本耀司は、音楽にも傾倒していて、『THE SHOW』とか、『YOUR PAIN SHALL BE YOUR MUSIC』などの、ショーにも使った音楽をプロデュースしているよ。有名監督や音楽家が参加している。また同じく川久保玲も、『COMME des GARCONS』という、日本人の国際的音楽家であるSEIGEN ONOと組んで、ショー音楽CDをリリースしているから、こういったセンスも必要だね。 また山本耀司は、デザインはトラディショナルを切り崩すというやり方が多い。制服のデザインをやってたからだろうね。彼のデザイン画はアートでも通用するしね。1980年代のUKミュージックシーンのファッションは、通称”カラス族”と言われたけど、これは山本耀司の影響だよ。バンド、バウハウスとかでも有名だ。 制服デザインや作業着のデザインでも良いから、とにかく会社と組んでやったデザインの実績が必要。そうやって名前を売って、とにかく独立して会社を作る。スタッフを選び、少数精鋭で、様々なコレクションに出品すること。海外には何度でも行く。行く度に人脈を作る。コミュニケーション力だけが頼りになるね。 それと国際的デザイナーになる素養は、人の3倍から5倍の努力をラクラクこなせること、それに利用できるものは何でも利用することだね。デザイナーってのは、日本じゃ職人のように弟子入りするのが普通だけど、そういうのは海外では通用しない。建築も同じで、安藤忠雄なんかは、ドイツの学校Bauhausに比べればカスのような存在だよ。まぁレベルが違う。 シャネルは、自分のデザインと意匠のために、ナチス協力者になったのは有名だ。また彼女は、貴族の下で働く、最も身分が低いドレスのお直し職人だったしね。縫製が得意で、一晩で自分の帽子を作り、それが貴族の流行になったりしたそうだ。最初の店は、愛人から出資してもらった帽子屋が始まりだった。 また、クリスチャン・ディオールはゲイで元は画家志望、その関係上、コネで仕立て屋(クチュール)で働き、後にナチスからのフランス解放後に女性服を仕立てて店をオープンさせた。 またコシノ3姉妹なんてのは、母親がやはり仕立て屋だったので、家族で縫製が当たり前の暮らしだったそうだ。娘がブランドを作ると、母親が別のブランドを作ったりして競争していたらしいよ。コシノ・ジュンコは恐ろしく縫製が早いそうだしね。 何でも海外で超一流であるためには、飛び抜けて優れていることが必要でね。音楽家では、テレビCMの音楽を全部コピーできるとか、狂ったように部屋中に絵を描くとか、そういう変人みたいな素養が必要だよ。そのために友人なんて要らないとか、恋愛なんかどうでも良いとか、夢中と言っても尋常じゃないんだ。

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