解決済み
試験対策で、自分が目標水準以下だなと日々、 自覚しながら、ああしたらいいこうしたらいいと、 行動を意識していくには、何か工夫やコツはありますか?公務員試験対策で、1時間以内の時間割を決めたのにしてない、 参考書をそのまましていたとか、 1時間していると思ったら何時間も過ぎて1日1日を浪費したとか、 ともかく「自分の行動に自覚がない」「少しさぼってることに気づくのが遅い」など、 集中力や認知が落ちてるなあと思ってしまいます。 ホワイトボードや紙に時間割や意識ポイントを書いていますが、 10月以降、見てなかったし、9月中も見てない時は多い。 時間割も時計もアラームはないので、音で気づくこともないです。 高校まで、受験対策もテスト対策も自覚してやれていたし、 大学からやや堕落しましたが、 最低限からやや満足の水準は必ずキープしてました。 意図して自分を客観的に行動に意識や命令を下しつつ、 その通りにはやれていたということです。 文学部に入ってレポート中心の生活で、高校までのそういう感覚が抜けてたので、 法学部に入り直す等の目標設定&合格は事実、できてました。 法学部に入って、2年で卒業単位をそろえるなどしたのですが、 法学部に入ったときに法哲学系の科目を薦める講師の助言に従ってから、 自分の本心の命令の「実学的な科目をたくさんとる」ことをしてなくて、 その頃からこういうスランプが続きました。 私は、なぜか知らないけど、脳内のそういう自分への客観的な命令に従うと、 いつもうまくいくタイプだったので。 まさか一度、その命令からコントロールを弱めると、 ずっとそのままなんて思いもしませんでした。 スランプに合理的な理由もなく、長引いたのは、あの頃からだから。 それまでは、たとえ勉強にある程度さぼりや手抜かりがあっても、 客観的視野からの自分が自分に命令下して、 その通りにするとちゃんとできました。 理性が強かったとも言えます。 その理性を普段はオフにしていても、ちゃんと勉学や進路についてはオンになる感じ。 アドバイザーみたいな心の声で、 その心の声を、その法哲学系の講師や合わない人間関係に合わせて何となく生きた、 法学部の頃から、自然と聞けない癖が増えたんです。 挙句の果てには、知恵袋のオカルトカテゴリでは、 人工霊体とか前世だと誤解される始末。 心の声とか理性っていうもののアドバイスは、病的なものじゃなかったし、 霊的なものじゃなく、自分に対する助言者みたいなものです。 「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ著)に出てくる、 「心の声を聞けば成功する」みたいなことですね。 法学部では、私が目標設定を遠慮したというだけなんだけど、 ある企業に入ってからはずっと、人間関係で、その私らしさをあまり理解して、 スランプ脱出について話し合える人はいませんでした。 理解度の薄い人なんか、解離性障害やイマジナリーフレンドと勘違いしてました。 (もっと酷いと統合失調症だの誤解されました) 私は、その心の声は、あえて「現実的な側面への助言、しかもプラスとなることしか言わない」ものと設定しておいたのが、6歳以前のため、 たとえるなら「アルケミスト」という自己啓発本みたいな本に出てくる、 「人は自分には嘘をついたり甘いものなので、心の声をきちんと聴いて、 夢や目標を叶えるのに必要なことを努力したらいい」というようなことを、 あえてしていただけなのに。 今まで、こういうことをあまり弁護士等の頭のいい人、 法学部の大学教授も理解してくれなくて、 一部の担任とか大学教授とか、女性で上品そうな人やキャリアウーマンとか、 東京の外資系企業の人事とか、外国によく関わる企業や官公庁で働くOGとか、 そういう点にカンがききそうな人にも、 きちんと説明できてませんでした。 頭がいい、偏差値が高い人が相手なら、 こういう話が通じるとは限らないらしいです。 察しのいい人でわかってくれていた人でも、 中にはそれを「自信」とか「パーソナリティ」という別のことに誤解して、 持ち上げたり持ち下げたりする人らもいました。 そういうタイプの人の場合、どうやって、試験対策のさぼりとか、 もう一度、元の自分のように調子を戻せるでしょうか? 今、あまりその自分の行動をきちんと客観的に見て、 こうしたらいいとアドバイスする心の声は聞こえないし、 聞こえても無視している気もしますし、 自分の意識が悪いと思います。 これを6月半ばから、人間関係で雑音が減ったころから、 直す予定だったのですが、知恵袋にもこのように、事実を相談できていませんでした。 (カテゴリによってはすごく「心の声とは」を誤解されてました)
私の「心の声とは」をわかる人らの場合、人間関係や置かれた環境について深く、 探偵の調査のように事実を見て判断するところまで、よく理解しあえた相手、 対話できた相手であり、他人にイメージや人物像を持って語らない人らです。 自分の行動を直すための心の声とか、要は自律に必要なことについて、 理性=鬱になるタイプとも捉えられない方が向いてる。 私は行動すれば、ならないタイプなので。 私が今まで本当に合わなかったのは、私が理性や計算や「冷徹とは自分に対する冷徹さである」という考えの持主と思わないまま、外見や雰囲気だけ外から見て、感性的なんだとか優しい良い人、騙されやすいとか、「人物像」で言ってきた連中です。 「自信を持て」とかも全く通じていない会話でした。 人の善意や思いやりは感謝します。 でも、なぜ私が6歳以前に「心の声」を持っておいたかというと、 人から助けられても、日本では試験とか勉強、仕事といった自分でやらないといけない能力的なことは、 自分が自分を客観的に把握して、行動したり意識しないと無理ですよね? 要は、人に聞いて教わるは、間違った対応(過干渉)の場合はレベルダウンするケースもある。 それを防ぐためのもの。
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