解決済み
学校の入試は全て人物重視にするべきではないですか?学力重視にするから私のような人が生まれるんですよ。つまり、勉強は好きなのに、就職ができないという人です。解決方法は2通りです。1つは就職試験から面接を廃止することです。筆記試験だけです。公務員試験から面接が廃止されれば、財務省の官僚だってなれる自信はあります。もう1つは上記の通り、学校の入試から筆記試験を廃止することです。就職試験が人物重視なら、学校の入試だって人物重視にすれば良いのではないですか?私だって幼い頃からそのような訓練をしていれば、今になって苦労しなかったはずです。義務教育を全面的に見直し、就活のハウツー本に載っていることを義務教育にするわけです。面接で「憂鬱」という漢字の書き方を聞かれないですよね。微分とは何かということは聞かれないですよね?(もはや口頭試問だと思います) 義務教育で教えることなんて意味がないのですから、廃止すれば良いですよ。小学生の段階から就活をすれば良いと思います。中途半端な現行制度では私のような人が屍になるだけです。
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はっきりいいましょう。 就職は人物よりも学力(実力)重視です。 多くの大企業には学歴フィルターが存在します。 良い大学に行くのは就職するため、この学歴フィルターにかからないようにするためです。どれだけ人物が良かろうと、学力が足りていなければその人柄を見てもらうことすらできないのが現実です。つまり、人物重視だなんてのは真っ赤な嘘です。 >>面接で「憂鬱」という漢字の書き方を聞かれないですよね。微分とは何かということは聞かれないですよね? 聞かれませんよ。その人がどれくらい学力があるのかは大学名を見て判断しているのです。聞かれないのは学力を軽視しているからではありません。学力がある人たちから、さらに絞るために面接で人間性を見るのです。
まず、根本的に考え方がおかしいです。 教育は就職のためにあるのではありません。 そのような前近代的な考えで現代の教育はなされていないのです。 学校は一般的な教養と基本的は技術を学ぶところです。 それをどのように応用して生きていくかは個人の生き方によります。 就職するための技術を学ぶわけではありません。 では、就職はといえば、その企業に必要な人材を得るわけですから、学力が必要であれば学力重視になるはずですが、現実は学力以上に「適正」が問われるのです。そのために、人物重視になるのです。 実際に、学力があっても営業職には向かない人はいますし、知識があっても不器用な外科医などに手術を任せたい人もいません。 義務教育で教えることは基礎基本です。人類が歴史的に積み上げてきた知識と技術の基礎を簡略に教えることにより子供を鍛えているだけです。鍛えられた子供はそれを応用へとつなげていくだけです。 昔は読み書きそろばんが出来ればそれなりの就職が出来て、実学が重んじられたのですが、現代は封建時代と違いマルチな知識が求められるので、一般的な教養があり、それに触れた経験があることが重要になるのです。 小学校の段階から就活をするのであれば、昭和以前の日本の状態に戻るわけです。その頃は、尋常小学校や高等小学校を出て丁稚奉公をした人が多くいました。そうして、商人や職人になったわけです。今の日本はそのようなレベルの社会では無いのです。 また、「学校の入試を人物重視にする」ということですが、今は推薦入試やAO入試などで少し前よりはそうした傾向が増してきました。しかし、学力が伴わないと授業について行けないという弊害も出てきているようです。 「勉強が好きなのに就職が出来ない」人は「勉強を生かす職業」につけるほどには「勉強をしていない」と言うことでしょう。対人関係があまりない「研究者」や個人の力量が問われる「トレーダー」などの職業につけば良いのです。
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