解決済み
社則に定められていない限り、全く控えなければならない義務はありません。 また社則に定められていた(そんな愚かな会社があるとは思いませんけど)としてそれに従わなくても罰せられることはないし、罰したら裁判にかければ勝てるでしょうね。 人が亡くなった場合、“忌”と“喪”があります。近年では似非常識家らがデタラメを吹聴し、それが広まってしまっていますが、喪は義務ではありません。 忌は本来神様に近くあるという意味です、嫌うべきものじゃありません。 忌中は故人の冥福を、世間と隔絶し精進潔斎をして神仏と直接交渉で祈るための“期間”です。その期間は仏教では49日、神道では50日です。これは仏教で49日間審査を受け次の転生先が決まるとされているからです。神道の期間は仏教の影響で神道には元々忌中などありません。 喪というのは似非常識家が1年などと言っていますが、何の根拠もなく、調べた人によれば第二次大戦中に訓練をさぼるための言い訳として使ったとされています。 もちろん明治の服忌令に1年などというものはなく、もともと男尊女卑の時代の習わしですから(しかも政治を知らない新政府の創ったものですから)最長は13か月からとなっていますが1年はありません。 元々服忌令は古くから作られましたが、平安時代では宮中は政争の場と化し、天皇ですら敵対勢力だと認定されれば殺されることがありました。従ってこれを避けるために貴族も天皇も誰かが死んだと言えば喪に服すと言って2年でも3年でも出仕しなかったわけです。しかしこれでは政治が滞ってしまうので「この期間を過ぎたら出仕するように」という意味で決めたのが服忌令。つまり服忌令は「してはいけない」という決まりではなく「期間を過ぎたら出てこい」という決まりなんです。だからそれ未満で出仕してもいいのです。 神社本庁の冊子などでも「やむを得ない場合はお祓いを受けてください」と書いてありますでしょ。実際神主さんは自分で自分を祓うんです。 喪というのは一定の期間ではなく、悲しみに暮れて日常生活もままならない状態を言います。神社本庁では「心にぽっかりと穴が開いて、それを埋める時間」と説明しているようです。ですから悲しみに暮れていれば2年でも3年でも喪中であり、悲しみを乗り越えて前に進もうと決めれば翌日からでも喪明けとなります。 だから愛する人が亡くなり、一生喪服で過ごす人も居るわけです。そして今、戦後では忌引き規定が造られ「喪」の期間は存在しません。なぜなら喪は個人の心情できって他人が決まられるものではないからです。 天皇崩御に伴う次期天皇の喪は現在では制度上、1年としていますが、50日間だけが定まっており、その後は公務に支障のない範囲で実施されます。つまり正式な喪の期間は50日という事になります。
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