解決済み
勉強しまくってる人にもチャラチャラしてる人にも苦言しか言わない人って結局大学生そのものを批判したいだけなんじゃないの?「学生時代は部活もサークルもバイトも一切していません。図書館で近松門左衛門とシェークスピアの文献を読みあさって勉強のみをしていました」 と言う発言をした学生に 「勉強しかしてないやつは社会では使えない。コミュニケーションがとれない。」 と批判する人って 「学生時代は明治のサッカーサークルのクライスに入って副長をしてました。新入生とは毎年最低でも五人と付き合ってました。あとは色々とファッション関係のイベントとかも仕切りました。」 って言っている人にも 「大学は勉強するところだろ。勉強しろよ!」って批判することが多い。 勉強ばかりかチャラチャラしてるやつか、どっちかを否定するのならばもう一方を賞賛しないと単なる大学生嫌いのババアかジジイってことになるよね? どちらも少しずつやってたとしても 「目標を絞っていないやつは社会にでてもフラフラとしている」とか批判してる人いたし。 近松門左衛門の文献を四年間読みまくるなんて相当勉強してるし、毎年新入生と五人も付き合えるなんてめちゃくちゃコミュニケーションとれるじゃん。 どちらが社会に出て使えるのかを決めるとしたら、どちらを選ぶ?
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一緒に働くんだったら、お互い気分良く働きたいし批判が多い人はノーサンキュー。 全然関わんないのならどっちでもいいよ。 個人的には、マイナスだらけの中からプラスを見つけようとする人のほうが好きだけどね。
それを聞いても別に大学生批判には思いません。わりと正論に思います。 何故ならどちらとも極端な回答だからです。 勉強することはいいことですが、勉強だけに集中することは違います。 これがもし面接だったと仮定した時、 勉強だけに没頭(ひとりだけで取り組むこと)するような人のコミニュケーション大丈夫かなあと思って無理ないと思います。 逆にチャラチャラした人の発言であげられてる毎年最低でも5人と付き合ってる というのは結局1人の人に対して3ヶ月ももたないということです。 人と表面的な付き合いでしか付き合えてなく、人として薄いなと思います。 大学が勉強するところというのは当たり前のことですから コミニュケーションをとるだけなら大学じゃなくてもバイトで充分です。 そんな1人に対して表面的付き合いしかできない薄い時間を過ごすなら勉強すればと思って当たり前に思いますよ。 じゃあどちらが社会に出て使えるかと聞かれれば前者でしょう。 それは学のある方という理由もありますが、学のある人間であれば社会に出た時嫌でもコミニュケーション能力が必要であることを認識できると思いますが 後者は上っ面な付き合いしかできずコミニュケーション能力が高いというよりただヘラヘラしてるだけに思えます。 学がないとそのことを理解するにも時間がかかります。 普通は学びたいことがあって大学にいきますから それに+バイトや部活等勉強面ではわからない自分の良さを見せれることというものを付け加えるのって当たり前と思いますから その基準から大きくかけている両者を批判というよりは大丈夫なの?っていう指摘に思えますね。
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