ある落語家さんいわく、将来の不安とか安定とか、考えたことはない。 落語が好きで好きで気がついたら、もう弟子入りしていたとのことです。 うらやましいと思いました。
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安定って、いいもんだけど退屈なのも確かでして、冒険はしてみたいけど、考えてみれば帰る場所(この場合家庭とか)があるからやってみようって気になる場合が多いわけでして。 ただ、自分が本当に納得するものって、天才でもない限り働きながらとか、学問をやりながらってかけない。無理です。 私はちなみに作家志望ですが、体壊しそうになった挙句にうつ状態になりました。試験勉強しながら寝ずに書いていたので。 自分が作り出すものに酔って、それを完璧にしたいとおもうときに人ってその決定的な一歩を踏み出すんだとおもいます。 人の作った会社より、自分の作るもののほうが酔えますもんね。 ちなみに当方、勉強も小説も中途半端になりそうなので、気前よく筆を折りました。 書いていたときの自分がつくづく精神的におかしかったと今は思います。 でも、おかしいぐらいにナルシストにならないと書けないのも事実なんでしょうね…。
興味や熱意があるからだと思います。 自分の好きなことを続けて上を目指すのですから、 「安定」を捨ててるわけではないと思いますよ。
安定を捨てる人。それは孤高の開拓者であります。 白鯨を追い求めて荒れ狂う海を行く船乗りであり 冷たく凍れる宇宙を旅する宇宙海賊であり かならず芽が出る保障のない未開の大地に種をまく人であります。 彼らが安定を捨てる気持ち。それはとても言葉で説明しにくい、不思議で不可解なものです。 船乗りは海へ出ると、陸に残した恋人のことが恋しくなります。 しかし陸に戻り、恋人のぬくもりに触れると、また荒れ狂う海へと漕ぎ出したくなるのです。 荒れ狂う海の凍えるような寒さ。どす黒い雲に包まれた空。 ろくに作物の育たない、ひび割れた北の大地。乾いた星々の荒野。 それらの何処に、恋人のぬくもりを捨ててまで追い求めるものがあるのか。 それでも彼らは追い求めずにはいられません。 体の内側から沸き出る飢えと、渇きと、血のたぎりによって。 しかし彼らはみなそれぞれに、かけがえのない一瞬を持っています。 それは長年追い求めた白鯨と、視線を交わした一瞬であるかもしれず 苦心して開拓した大地で初めて作物が芽吹いた時であるかもしれず 厳しい稽古の末に舞台へ上がり、スポットライトを浴びた瞬間であるかも知れず 数万人の観客が集まった武道館で、音楽と聴衆と自分自身が一体になった瞬間であるかもしれません。 その一瞬のためならすべてを賭けてもいい。 安定を捨てる人、孤高の開拓者は常にそんな気持ちを抱いている人々です。 愛する人との幾千の抱擁よりも、冷たく厳しいものに死に物狂いで挑みかかり、制する一瞬が欲しいのです。 その一瞬を目指す苦しい道のりで傷つき、血を流すとき、"私は生きている"と強く感じるのです。 たった一瞬のために安定を捨て、温もりを捨て、冷たく厳しい道のりを行く。 ある意味では、とても悲しい宿命の人たちと言えるでしょう。 しかし私たちは、そんな彼らの姿を見て心打たれます。 すばらしい演技を見せる俳優。苦しいトレーニングを乗り越えたオリンピック選手。魂を賭けて歌うミュージシャン。 彼らはすべての安定を捨てて、初めて自らの"生"を切り開く、孤高の開拓者なのであります。
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