解決済み
特別支援学校の教員の役割について教えてください。 私は重症心身障碍児施設(病院)で働く看護師です。今年、呼吸器をつけている植物状態の男の子が小学校に入学しました。病院の近くの特別支援学校から教員が見え、病室で授業をしてくださいます。午前中は本の読み聞かせや軽いタッチング(体にさわる)といった授業でしたが、午後は別の教員がベッドの上に乗ってリハビリのようなことをしています。呼吸器をつけているので頭側に乗った時には声をかけて控えていただくようにしましたが、それを見てどのような目的で授業を行っているのか気になりました。 その子が健やかに育っていくように援助するのは、私たち医療者も学校側も目的は同じだと思うのですが、医療者は体調面・メンタル面がメインです。では、特別支援学校の教員は本来どのような役割を担うのでしょうか?仕事中は私の仕事も忙しくなかなか教員の方に聞く機会がなく、また、熱心に子供たちとかかわってくださる先生方に聞くには失礼な質問かと思い、聞けませんでした。 前もって医学的情報は書面で伝えてありますが、その男の子の学校と病棟との教育計画のカンファレンスは来月に行われる予定です。
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狙いは、親の心情に配慮してということ、最重度の生徒でも教育の機会を与えるということ。 親にとってみれば、障害があってもわが子はわが子であり、少しでも改善を望むということです。 それに答えてと言うことでしょう。 でも、教育的な効果はほとんど望めないと思います。科学的な効果評価に基づいたものではないはずです。むしろ、科学的に評価してしまえば、効果なしという結果になるでしょう。 派遣される教師もかわいそうだと思います。非常にむなしい仕事をしなければならないからです。 当然、高給を保障されている教員が配置されているわけです。ただ、費用対効果を言ってしまえば殺伐としてしまいます。 こういった教育の可否について、非常に疑問を持ちながらも、きちんと冷静に議論すべきことだろうと思います。 ただ、今は親の心情に配慮すると言うこと、すべての生徒に教育の機会を与えることと納得するしかないのではないですか。
以前、重症心身障害児施設に駐在する訪問学級体制で教員をしたことがあります。 児童生徒の中に、呼吸器で生命維持している子がいて、その授業を見学したことがあります。 その時は、読み聞かせや簡単な図画工作などが主体でした。 想像するに「リハビリのようなこと」とは、おそらく体育系の授業をその子向けにアレンジしたものではないでしょうか。 実際、健常者に行うような体育の授業は出来ないにしろ、介助によって簡単に体を動かしたり、リラクゼーション効果を狙った活動は授業として行われることがあります。 当時、呼吸器をつけていない生徒を交えて授業することもあり、その時にはボッチャなど、少ない動きで楽しめるボールゲームをしたこともありました。 私は臨時教員の身なので修行中の状態ではありますが、児童生徒の障害の程度にあわせて、「本人に無理をかけずに出来るレベル」にアレンジした上で授業しています。 今は重心者がいない特別支援学校で働いていますが、当時の事、特に教員が入所者の状態にあわせて内容をアレンジする過程での柔軟な創意工夫の姿に感心しました。 もちろん医療のプロではないので多少の無理がかかることもあるかと思いますが、「この子なら、どこまでなら安全に出来るか」といった事を常に考えていることを御理解いただければ幸いです。
初めまして、特別支援学校教員です。ちなみに、父が重症心身障害児専門の医師で、長く施設長もやっていました。 丁寧なご質問に、ご質問者様の人間性が伝わってくるようです。 まず、先の回答に少し疑問を呈したいと思います。すべての子どもたちには教育を受ける権利があります。また、すべての大人たちには子どもたちに教育を受けさせる義務があります。「親の心情に配慮して」とは、おかしな話です。就学猶予でもない限り、教育が行われない方が問題でしょう。また、「障害があってもわが子はわが子であり、少しでも改善を望む」というのもかなり失礼な物言いであると感じました。教育に携わる者として、悲しい気持ちになりました。さらに、教育的な効果に関しては、近年最重度のお子さんにも脳画像を取るなどして教育の効果を確かめられるようになっており、また驚くような効果が出たケースも報告されていますので、おっしゃることとは違っているようです。 さて、教育そのものに関しましては、先のもう一つの回答にありますので、少しだけ別の角度でアプローチをしたいと思います。 >では、特別支援学校の教員は本来どのような役割を担うのでしょうか? 「教育」を行います。それがどのような実態のお子さんであっても、その子にとって少しでも人生が実りあるものになるようにと思いを込めています。特別支援教育の対象児童については本当にさまざまで、そこで支援する方法も本当にさまざまです。医療と並行して教育が行われるような環境(院内学級であったり、重症心身障害児施設内の分教室であったり…)では、例えば医療者の方に体調面やメンタル面のことを見ていただいたなら、こちらは、例えば通常の学習に加え、自分でその体調やメンタルをコントロールできるようになるにはどうすれば良いのかを考えるような学習を用意したりもします。小児糖尿病のお子さんであったら食べ物の選び方だったり、自分のストレスをうまく表出できないお子さんだったら、ストレスを表すメーターを作って自分の気持ちを数値化してみたり。 植物状態のお子さんであると、やはり感覚刺激から訴えて快の刺激につなげていくなど、バイタルサインを元に支援を組み立てていくことになりそうですね。 あと、保護者の方々とのかかわりも、我々にとっては大切な仕事です。 とはいえ、ここで教育について説明するのは本当に難しいです。どうぞ担任教員に質問なさってください。また、おかしいと思うことがあったらどんどんおっしゃってくださっていいと思います。 さて、ここからは私の思ったことです。 教育って、そもそも何のためにあるのでしょう。これは大変難しい質問ですが、しかし私はあえて一言で答えるならば、「人生を豊かにするためです」と答えます。重症心身障害児にとって、教育ってなんでしょう。それでもやはり、私は「人生を豊かにするための手助けにしてもらいたい」と思います。 上記のとおり、私の父はドクターです。昔からいろいろなことに怒ってましたよ。「〇〇ちゃんを、修学旅行に連れて行くっていうんだよ。命を縮めることにつながってしまうから、絶対ダメだっていうんだけど、教員が連れて行きたいって言うんだよ。でも、医者として許可は出せないよ」なんて、日常茶飯事でした。父は学校の先生は不勉強だと言いたかったようですし、実際そういう面もあったのでしょうが、しかし自分が教員になってみると単純なことばかりではないのです。 >その子が健やかに育っていくように援助するのは、私たち医療者も学校側も目的は同じだと思うのですが 本当にその通りです。でも、教育はあえて言うならば、いつも先を見ていたいです。医療が見ていないわけではないですよ。ここではどうもうまく言葉にできませんが…、でも、どの子にとっても毎日が大切な宝物で、学校が楽しいところであってもらいたいのです。 先ほどの修学旅行の件ですが、保護者の方が強く希望され、途中まで参加なさいました。うちの父ももちろん引率でついていきました。そのあと、かなり経ってからですが亡くなられました。でも、お母様は泣きながら、「修学旅行、少しでも行けてよかったです。あの子の人生に、施設の中での経験ばかりしかないのはあまりに辛すぎる。少しでも多く経験を積んでもらいたかったから、本当に感謝しています。」とおっしゃっていたそうです。 子育てって、いつでも親のエゴなのかもしれませんね。でも、エゴであっても良いと思っています。愛情って、本来そういうものだと思っていますから。 ご質問者様、お忙しい毎日でいらっしゃるでしょうが、ぜひ頑張ってくださいね。答えになっていない回答ですみません。
なるほど:7
学校教育はこどもの可能性を信じ、教え育むものです。そこに障害があろうとなかろうと同じです。 植物状態のように表出が難しい場合は、バイタルサインなどを通してやり取りを行うことも可能です。決して親御さんの気持ちを満たすためではありません。 さて、ベットの上でのストレッチについて驚かれたということですが、医療面での引き継ぎがどれほどされたかがわかりませんが、特別支援学校の教員でも理学療法に造詣の深い方もいます。なので、ずっと同じ姿勢でいることで、身体の拘縮を少しでも減らすため、身体的なアプローチをします。 この場合の評価は、理学療法のものに倣うかたちになります。 いずれにしても、個別の指導計画があるはずなので、その検討を早目にして、より良い教育が保障されれば、と思います。 全他を通して憶測で回答をいたしました。一番は担当教員に直接、その活動のねらいや評価について、聞いてみることだと思います。
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